らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「二流の人」坂口安吾

 



今年の大河ドラマ軍師官兵衛」の主人公である黒田官兵衛

作家坂口安吾は「二流の人」という小説で、
この黒田官兵衛のことを書きました。

権謀術数渦巻く戦国時代にあって、
巧みな弁舌と軍略で秀吉を支えた冷徹な軍師。
信長、秀吉、家康の三英傑に重用されながらも、
切れすぎる才智ゆえに警戒され、秀吉に恐れられた男。

かように巷では高く評価されている黒田官兵衛がなぜ二流であるのか。
作者坂口安吾は、この作品で、
大変ユニークな戦国武将論、ひいては人物論を展開しています。

坂口安吾がまずもって当代一流であると認めているのは、
いわゆる戦国の三英傑である信長、秀吉、家康。

では彼らの一体どんなところが一流であるのか。
その理由を次のように述べています。

「家康は石橋を叩いて渡る男ではない。
武将でもなければ、政治家でもない。
蓋し稀有なる天才の一人であつた。
天才とは何ぞや。
自己を突き放すところに自己の創造と発見を賭るところの人である。」
「家康は天の時を知る人だ。然し妥協の人ではない。
この人ぐらゐ図太い肚、命をすてて乗りだしてくる人はすくない。
時に際し、利害、打算を念頭になく一身の運命を賭けることを知らない奴に
いわば『芸術的』な栄光は有り得ない。
芸術的とは宇宙的、絶対の世界に於けるといふことである。」

そして、石田三成についても、
秀吉生前は才気煥発な知恵者に過ぎなかったものの、
秀吉死後、頼りにしていた前田利家亡き後、
武断派の襲撃を避けるため家康の屋敷に単身飛び込んで以後は、
彼も一流の人物であると論じています。

曰わく、
「彼の真実の魂は孤立し、(中略)その心の崖、
それは最悪絶対の孤独をみつめ命を賭けた断崖であつた。
この涯は何物をも頼らず何物とも妥協しない詩人の魂であり、
陋巷に窮死するまでひとり我唄を唄ふあの純粋な魂であつた。」

ちょっと言っていることは難しいですが、
要は、一流の人とは創造者であるということ。
その創造するものは人それぞれであるけれども、
創造者であるためには、孤独の中で己の魂をみつめ、
天の時を感じ取り、そこから何がしかのものを生み出すために、
邁進する力を有するものでなけばならない。
ということをいっているように思います。

それでは黒田官兵衛についてはどうか。
「かつて彼も詩人であった。
だが、秀吉亡き世にあって、
彼は若き日の死の崖をすでに失っていたのである。
己れの才と策を自負し、必ず儲る賭博であるのを見ぬいてゐた。
ただの一賭博者でしかなかった。
彼の心に崖はなく、絶対の孤独をみつめてイノチを賭ける詩人の魂はなかつた。」

つまり、黒田官兵衛は孤独の中で自己を見つめ、
その中で天の時を見いだし、それに邁進するという人ではなく、
時勢を観察し、有利不利をその明晰な頭脳で分析し、
自分が与力しようとする側に作為をもって有利に働きかけ、
それが上手くいかなかった場合には勝負を下り、
自分の成し遂げようとしていたことをあっさりと捨て去る。

我々が、頭のいい人というと真っ先に思い浮かぶのは、
この作品の中の黒田官兵衛のような人間でしょう。
知識が豊富で、分析力に優れ、機に応じて敏。
行動力に富み、文章巧みで、リベート力に優れ、器用でいわゆる頭の回転が早い。

しかし、作者に言わせると、
そのような頭の良さは二流のものに過ぎないといいます。
つまり、その頭の良さは賭博者としてのそれに過ぎず、
何か新しいものを創り出す、作者のいう一流のものではない。


その他、この作品では、小西行長についても、
朝鮮の役に関して、最初についた嘘を覆い隠すために、
嘘を重ねツジツマを合わせているうちに、
取り返しのつかぬほど災いが大きくなってしまった
利発な知恵者の悲劇をユニークに描いていますし、
上杉謙信直江兼継真田幸村などについても、
3人を同一のベクトル上に存在する人物として
なかなか面白いことを言っています。
ちょっと彼らのファンにとっては不満の残る評価なのかもしれませんが、
面白い意見だと自分は感じました。

この「二流の人」は、なかなか述べていることの奥が深く、
がっぷり四つに組んで、じっくりと考えなければならない、
久々に歯ごたえがあるといいますか、自分にとってはそのような作品でした。

作者は戦国武将の生き様も、作家など芸術家のそれと同一軸で考えており、
物事を新たに創造する者を一流とし、
事変に応じて巧みに世の中を渡ろうとする、
世間的にいう器用な「智者」を二流と捉えるユニークな考え方は、
非常に面白く、かつ説得的にも感じられました。

この作品は、いわゆる戦国時代のひと通りの背景というものが頭に入っていないと、
多少理解しづらい部分があることは確かです。
しかしながら、歴史談義というものに興味を示したことがおありな方であれば、
このうえない刺激と魅力と楽しみを提供してくれる作品であるといえます。

間違いなく、作家坂口安吾の代表作のひとつであると自分的には感じています。