らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【人物列伝】29 伊藤みどり



 
オリンピックで、金メダルよりも価値のある銀メダルがある。と言ったら、
ええっ!?と皆さん思われるかもしれません。
しかし、自分は本気でそう思っているところがあります。

今回はその人の話をしてみたいと思います。

その人の名は伊藤みどり

1990年前後に活躍し、アルベールビルオリンピックで
銀メダルを獲得したフィギュアスケートの選手です。

実は自分、小さな子供の頃、遊びに行ったスケートリンクで、
コーチと練習している伊藤みどりさんを見たことがあります。
彼女も名古屋の人で、一般のスケートリンクを使い、
一般の人が滑っているのに混じって、フィギュアスケートの練習をしていたのです。
まだ彼女が中学生になったくらいのことだったと思います。

彼女はそれまでダンスに近かったフィギュアスケートの観念を、
根本から変えた先駆けの人といえます。
国際スケート連盟 (ISU)は彼女を評して言います。
「みどりはたった一人の力で、女子フィギュアスケートを21世紀へと導いた」

彼女はフィギュアスケートの世界にジャンプの魅力を伝えた第一人者です。
彼女のジャンプは高く正確で力強い。
軸のぶれがほとんどなく、機能美とでもいうような独特の美しさがあります。

今でこそ、女子でもトリプルアクセルをする人はいますが、
比べてみると何か次元が違うようにも見えます。

ところで、皆さんは彼女の身長どのくらいだと思われますか?

答えは145センチ。

ええっ、そんな小さいの!?とお思いになるかもしれません。
リンク上で舞う彼女はそんなに小さいとは感じることはありません。
中国に「長袖(ちょうしゅう)よく舞う」という言葉があります。
簡単に言えば、袖が長いと舞いは上手く見えるという意味なんですが、
小さな彼女がめいっぱい手足を伸ばして体を精一杯張って表現している。
その様子が見て取れるのではないかと思います。

そして満を持して迎えたアルベールビルオリンピック。
最初のオリジナルプログラムで4位と出遅れ、
フリー演技に全てを賭ける彼女。

自分も当時テレビで見ていましたが、
いつもは気さくな彼女の顔がこわばって、目が三角にといいますか、
とても緊張している風に見えました。

そして、いきなり最初のトリプルアクセルを失敗し、大きく転倒。
その瞬間の会場の悲鳴とざわざわとしたどよめき…
衝撃的なシーンでした。

ああ、やっぱりダメかもしれない…
当時、ライブでテレビを見ていた自分も思わずそう思いました。

しかし、彼女の集中力は全く途切れていませんでした。
すぐさま立ち上がり、何事もなかったかのように、再び滑り始めたみどりさん。

曲に乗ってなめらかに流れるような、生き生きと優美で、
悲壮感のようなものは微塵も感じられません。
小刻みなジャンプも彼女らしく、
きりきりっと小気味よく決まります。

そして長い助走から再びトリプルアクセルの態勢へ。

怖い…
先ほどの失敗が、一瞬彼女の頭をよぎったと思います。
しかし彼女はその恐怖を振り払って
最後まで果敢に挑んだ。

美しく素晴しく力強い完璧なトリプルアクセル

これこそ伊藤みどりそのものにしかできない滑りを見せてフィニッシュを決め、
会場は金メダルを取った選手よりも大きな拍手に包まれました。
彼女はこのオリンピックを機に区切りをつけたいとインタビューに答えていましたが、
まさに彼女らしさを全て出し尽くして
完全燃焼したといってよい演技であったと思います。

巷では完全燃焼したいと思っていても、
実際は完全燃焼しきれない人が多いものです。
それはなぜか?
それは普段の人生においてぎりぎりの極限まで
自分というものを見つめ見極める生き方をしていないからではないかと感じます。
だから、いざという時に完全燃焼することができない。

芸術性が低いと評され続けた自己の演技への悩み、
足首の骨折を含む、述べ数百回にわたる膝や足首の故障の治療、
本番直前の練習中での衝突による負傷など不運な事故の数々、
それでも彼女はフィギュアスケートをやめなかった。

自分は、まだフィギュアスケートで見極めるべきものがある。
そう思ったからなのかもしれません。

そしてオリンピックにおいて、
残り最後の1分で魅せた
女子フィギュアスケート界初めてのトリプルアクセル

ひょっとしたら、みどりさんが金メダルを取れなかったのは、
最初のトリプルアクセルの失敗の減点が
大きく響いたからなのかもしれません。
しかし減点されにくい、危険を回避した差しさわりのない演技で、
一体何が残るのでしょうか。
最高の晴れの舞台で、極限まで自分の目指してきたものに
最後まで果敢に挑んでゆく。

そういう意味で、それを見事果たした彼女の胸にかけられた銀メダルは、
とても眩しく光り輝いていると自分は感じます。

ラフマニノフのピアノ協奏曲にのせた伊藤みどりさんのリンク上の舞い。
何度見ても、新しい発見があり、
何度見ても、新しい感動があります。
それは、自己の思いをつきつめて作品に凝縮した
芸術作品と全く同じものを感じさせるところがあります。

彼女のアルベールビルオリンピックの演技を見たことのない方は、
ぜひ一度ご覧いただけたらと思います。
 米国テレビ版