らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【閑話休題】平昌オリンピック 讃 小平奈緒選手











フィギアスケート羽生選手&宇野選手の金銀フィニッシュの興奮覚めやらぬ中、
またもう一人、金メダリストが誕生しました。

女子スピードスケート500m 小平奈緒選手。


彼女については、既にいろいろな話が報道されていますので、
ここでは繰り返しません。


小平選手の滑りを「獣のよう」と表現したアナウンサーが批判を浴び、
ネットでも大半が批判的という感じではありますが、
確かに女性に対し、獣のようという表現は、語感がよろしくないのは否めませんが、
自分は全く的外れとも感じていません。






普段はかわいらしい普通の女性ですが、
リンクに入って構えた瞬間、その目の鋭さが一変します。


スピードスケート500m決勝
https://youtu.be/7Gk5IpHOO5I


彼女の滑りは、豹のように、しなやかで躍動感があり、
獲物(ゴール)に向かって、まっしぐらに駆けてゆく。
そんな例えにぴったりです。

小平選手の滑りは、野性に狩る動物と同じく、
極限までに無駄がないのです。
ひたすらにゴールめがけて一直線に駆けてゆく。

小平選手と同走したチェコのエルバノバ選手は銅メダルを獲得しましたが、
小平選手よりもひとまわり大柄で、
長い手足を生かしたダイナミックで素晴らしい滑りなのですが、
滑りの凝縮度というか、氷に対するフィット感という面では、やはり小平選手に一歩譲るところがある。


小平選手の滑りは、吉川英治宮本武蔵と重なるストイックさが感じられます。

ただ剣の道を極めるために日々をその鍛錬に費やしてきた武蔵の人生。
武蔵、五輪書に曰く、
「千日の稽古をもって鍛とし、万日の稽古をもって錬とす」


「鍛」は基礎が定着するということ、
「錬」は一つの道として揺るぎなく完成すること。
「鍛錬」の語源となった一文です。


また、最近、テレビで、フィギアスケートの羽生結弦選手の、
平昌オリンピックに向けて練習をしているCMの映像が目に止まっています。

そのナレーション。
「何度も何度も、何度も何度も繰り返すこの動き」
「それはまるで、不純物を少しづつ捨てて、
世界で最も純粋な物を作り上げていく作業に見えた」
「そうか、奇跡はこうやって作られていたのか」

https://youtu.be/O5HuF7cHOTI


まさに不純物が完全に取り除かれた、無駄のない純化された滑り。
小平選手のスケーティングで感じるのはそれです。


我々凡人は、純度を高めるための繰り返しが足りないのです。
途中でやめて諦めてしまったり、繰り返しそのものを疑ってしまったり、
だから、純化しきれずに濁ったままでいる。
濁っているから、物事を見通すことができない。

日々鍛錬を繰り返し、己の純度を高める。
さすれば、濁らない、クリアな視野で物事を見通すことができる。
たくさんのことをしようとする必要はない。
ひとつのことだけを無心にやり遂げる。
小平選手はスケートでそれを教えてくれたように思います。

なぜ、人は繰り返し練習を積み重ねなければならないのか。
今回、その明確な答えをいただいたような、そんな気がします。 

童顔の小平選手ですが、彼女は31才。
ウインタースポーツ女子の平均引退年齢は27才だそうです。
彼女は10年以上かけて焦らずたゆまず自らの純度を高めるために費やしてきた。
そして、最高の純度に達して、今回の結果を得た。
こんな素晴らしいことがあるでしょうか。


完勝。
まさにその言葉にふさわしい勝利であったと思います。