らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【クラシック音楽】年末の第九

 
 
もうすぐクリスマスですね。
あと10日ほどで年も暮れます。
1年というのは本当に早いものです。

年の暮れ、巷でよく耳にするようになるのが「第九」のメロディ。
そうです。ベートーベンの交響曲第九番「合唱つき」ですね。

年末になるとコンサートも第九づくしで、
クラシックファンなら、今年はどの第九に行こうかと、
いろいろ楽しみにしている時分でもあります。

自分も数年前までは年末第九のコンサートによく出かけていました。
1年を締めくくる、けじめみたいなものとして、
第九を聴いて、気持ちを整理して、
引き締めようと思っていたところもあります。

しかし、最近はその年末の恒例行事も、ちょっとご無沙汰です。
仕事が忙しいということもありますが、
それ以上に足を遠ざからせているのは、
ルーティングに堕した演奏の多さといいますか。
音楽が心の奥まで入って来ない、
音が、耳の外でわんわん鳴って響いているだけで、
一向に語りかけてこない演奏の多さにあります。

ある年の年末、バーンスタインの弟子として、
日本でも有名な、新進気鋭の指揮者の第九を聴きに行ったのですが、
始まって10分で聴き続けるのがツラくなり、
彼は大汗をかきながら指揮しているのですが、
何をそんなに大汗かいているんだろうと不思議で仕方がありませんでした。

合唱で有名な第四楽章に入っても、
一向にオーケストラから生気のある音色は聴こえて来ず、
終わった時は、あー、やっと終わったか…やれやれと、
正直、ホッとしたところさえありました。

演奏以上に腹立たしかったのは、
演奏後、舞台の袖に引っ込んでは出てくるカーテンコールのパフォーマンスを
何度も何度も繰り返したこと。
カーテンコールの記録に挑戦しているのかと思うほど、本当に何度も何度も。

カーテンコールというのは、観客の熱烈な拍手に促されて為されるものなのですが、
この時は、やれやれ、やっと袖に引っ込んだかと観客の拍手が鳴り止むと、
また満面の笑顔で舞台袖から現れて、
オーケストラの面々と、その度、延々と握手を繰り返す。

日本の観客は優しいですから、せっかく出てきたのだからと、
つき合いでパチパチと拍手をする。
その繰り返しが、だらだらだらだらと。

演奏後、彼が
「今日は不本意な演奏をしてしまいました。
今度は必ず皆様の心に響く演奏をしますので、
どうぞまた、いらしてください。」
というようなコメントでもあれば、その次の年も足を運んだかもしれません。


自分が、なぜそこまでのことを言うのかと申しますと、
クラシック音楽の演奏というのは、
作曲家の創造した曲を具現化する、いわば芸術の再創造ともいうべき行為です。
芸術として自分なりの再創造を試みて、結果それに失敗したのであれば、
それに文句をつけることは絶対にありません。

許せないのは、差し障りのない無難な表現の演奏。
創造を試みていない演奏。
あー、今年も年末恒例の第九か…という
緊張感の無い意識が音に表れてしまっているルーティングな演奏。

芸術の表現とは一回性の一期一会のものであり、
ルーティングなそれは、もはや音楽という表現ではなく、
ただ、物理的に音が鳴っているだけのもので、
それは最も自分が忌み嫌うものです。

彼はバーンスタインから一体何を教わったのか。
バーンスタインの一見派手に見えるアクションは、
彼の演奏家としての創造性、ほとばしる情熱が自然と湧き出たものに他なりません。

単なるパフォーマンスであるならば、
それは指揮台の上で、音楽に合わせて踊っている道化です。


くどくど色々と申し上げましたが、
自分、クラシック音楽の演奏には結構厳しいところがあるんです(^_^;)
音楽って、演奏者の心のうちが音に怖いくらい素直に表れてしまうものなんですよ。


それでは最後に、口直しの第九の演奏を。

バーンスタイン指揮/ウィーンフィル演奏
http://www.youtube.com/watch?v=t4N5-OALObk

いつも情熱的で、時にはそれが度を過ぎて、
踏み外してしまうこともある彼ですが、
この演奏は情熱的で、かつ抑制の効いた名演だと思います。
こういう演奏を年末の第九でぜひ聴いてみたいものです。