らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【閑話休題】リオ・パラリンピック 卓球






ただ今、リオデジャネイロパラリンピックの真っ最中で、
先のオリンピックに勝るとも劣らぬ熱戦が繰り広げられています。

その様子をなるべく多くの人に見て頂きたいという意味も込めて、
今日はパラリンピックの記事をお送りしたいと思います。
今回ご紹介するのは卓球。

今大会は何やら卓球に縁づくことが多いように思います(笑)









イブラヒム・ハマト選手(エジプト)


彼は10歳の時に事故で両腕を失いました。
しかし、卓球が好きだった彼は、事故から3年後、再び卓球を始めます。
最初は脇でラケットを抑えていたそうですが上手くいかず、
試行錯誤の末、口にラケットをくわえてプレイするスタイルにたどり着きます。

そんな、口にラケットをくわえて、卓球のプレーなんてできるの?
とおっしゃるかもしれませんが、
百聞は一見に如かず、
とにかく彼のプレイをご覧下さい。

https://youtu.be/B8Nzf3H2XCM

たぶんご覧になった方はさぞ驚かれたことと思います。
どうしてあれほど的確に素早いリターンが出来るのか。
手でラケットを握っていない分リーチが短いので、
ボールを打つポジションに態勢を移動するには、通常のプレイヤー以上の素早さが必要です。
本当に信じられません。







あと、このサーブのプレイ。
これはかなり苦労して編み出したのではないのでしょうか。
一見アクロバティックな感じに見えますが、
口にラケットをくわえている以上、これが唯一の方法ともいえます。
卓球に対する情熱と工夫に対する熱意に本当に脱帽です。
それ以外に言葉がありません。










別所キミヱ選手(日本)


彼女は40歳でご主人を癌で亡くし、
悲しみ冷めやまぬ間に、自身も骨盤に癌が見つかり、44歳の時、車いすの生活に。
そのリハビリで始めたのが卓球だったそうです。
そして今年68歳にしてパラリンピックに出場。

ご主人を亡くし、そして、自身も癌になり、両足の自由を失うというのは、
本当に目の前が真っ暗になったと思います。

しかし、彼女は両足を失ったことで出会った
卓球というスポーツに自らの新たな活路を見出したのです。

また、別所さんは、障害者の暗いイメージを変え、
選手としていつまでも輝きたいと、身なりにもこだわってきたそうです。

そして、彼女のプレイがこちら。

https://youtu.be/RZ-_Ys1rXgM

エッジボール狙いのボールコントロールが素晴らしい(^^)
これは魔球と言われているそうですが、
決まれば絶対に打ち返せないわけですから、確かに魔球です。

そして、68歳とは思えぬハツラツぶり。
ご自身で仰っている通り、本当に輝いています。眩しいです。


そして、インタビューでおっしゃった「今日は勝負下着で来たのに・・・」

そのセリフ痺れました(笑)

素晴らしい。本当にいきいきとしていらっしゃる。




昨今、障害者は「感動ポルノ」として健常者に消費される存在で、
私たち健常者が障害者の姿に感動しているのは、
心のどこかで彼らを見下しているからだという主張があります。

では、自分はなぜオリンピックを観るのか。

それは、アスリートたちの、人間の限界に挑戦し、
その可能性を追求し続けている姿を見るのです。

オリンピックで世界一を目指して競い合う選手達の、その限界のパフォーマンスを見て、
人間というものは、こんなに可能性がある生き物なんだと感動するのです。
力を与えてくれるのです。

それはパラリンピックも変わりはありません。
手足がなくても、人間というのは、これだけの限界に挑戦できる可能性のある生き物なんだ.。
という観を強くするのです。

手足がなくて可哀想だな。でも無いなりに一生懸命頑張ってるな。
などという慰みなどでは断固としてありません。
また、パラリンピックのアスリート達も、
他人に慰めてもらおうなどという気持ちで競技していることは絶対にないでしょう。

彼らは、自己の持てる全てものを出して、
自分の可能性を追求し、その限界に挑戦しているのです。

できないことを嘆くより、できることを可能な限りどこまでも追求して生きよう。
その真摯な姿勢は、障害者だけでなく、
人間全体に向けられるべきメッセージのはずです。

それのどこが「感動ポルノ」というのでしょうか。

その言葉は下手すれば、身障者の方々のスポーツによる自己実現を抑制し、
それを応援しようとする人々の行動を躊躇させる結果をもたらすものです。
安易にそのような言葉を使う人に対して強い憤りを感じます。