らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【万葉集2013】12 いさなとり海や死にする

 
 
 
 
 
 
 
 
 
いさなとり
海や死にする
山や死にする
死ぬれこそ
海は潮干(しほひ)て
山は枯れすれ



詠み人知らず



いさなとり
海は死ぬのですか
山は死ぬのですか
死ぬからこそ
海は潮が干上がり
山は枯れるのです



冒頭の「いさなとり」とは海にかかる枕詞で、
「鯨魚取」「勇魚取」などと表記されるそうです。
「いさな」とはクジラのことをいうので、
この歌での「いさなとり」は、
鯨が悠々と泳いでいて、そこで鯨取りが行われるような果てしなく広い海よ!
と、呼びかけるような感覚でしょうか。

それにしても、海は死ぬのですか、山は死ぬのですかという言葉は、
非常にシンプルで、子供が聞くような素朴な問いかけですが、
なぜかドキッとするというか、
その問いが心にいつまでも響くような、
ちょっと不思議な力のある言葉に思います。

ちなみにこの歌、いつもの五七五七七でなく、
五七七五七七の変型になっています。
このような型の歌は、頭句(第一句)を再び旋(めぐ)らすことから、
旋頭歌と呼ばれるそうです。
つまり五七七、五七七と同じ形を二回繰り返しているわけで、
通常は問いかけと答えが交互に詠まれる
問答歌のパターンで詠まれることが多いとのこと。

つまり、一方が、海は死にますか、山は死にますかと尋ねて、
他方が、それについて答えるというわけです。

しかし、この歌に関しては、
大海原に向かって、一人で問いかけ、それに対して答えるというように
自問自答しているのではないだろうかと感じるところがあります。

詠んだ人は、親しい人物を失い、人間と同じように海や山も死ぬのですかと
海に向かって問いかけているのかもしれないし、
ぼんやりと一人で大海原を眺めてたたずんでいるうちに、
海や山は死ぬのだろうかと、ふと感じたのかもしれない。

この歌を詠んだ状況は様々なバリエーションが考えられますが、
ただ共通していえるのは、
自然と人間が今よりもずっと身近に繋がっていて、
自然が人間を包み込んで共生している
息遣いのようなものを感じるということです。


ちなみに、この万葉集の歌をヒントに、
さだまさしさんは「防人の詩」を作ったといわれています。
防人の詩に関する記事)
http://blogs.yahoo.co.jp/no1685j_s_bach/7517101.html
さだまさしさんの歌は抒情的で、非常に情感豊かに歌い上げています。
これはこれで、とても素晴らしい歌であると思うのですが、
何度となくこの万葉歌を口ずさむと、
愛する人を失った諦念とでもいうのでしょうか、
大海原を見ながら、一人静かに心を収めてゆく情景が自分には目に浮かんでくるのです。