らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

富士山文化遺産記念【万葉集2013】11 なまよみの 甲斐の国

イメージ 1
 
イメージ 3
 
 
 
こちらの画像は、夏の、いわゆる青富士の姿です。
天頂に雪をかぶった定番の富士山も美しいですが、
夏の凛々しく雄々しい富士もなかなか素晴らしいと思いませんか。



なまよみの 甲斐(かひ)の国
うち寄する 駿河(するが)の国と
こちごちの 国のみ中ゆ
出で立てる 富士の高嶺は
天雲(あまくも)も い行(ゆ)きはばかり
飛ぶ鳥も 飛びも上らず
燃ゆる火を 雪もち消ち
降る雪を 火もち消ちつつ
言ひも得ず 名付けも知らず
霊(くす)しくも います神かも

石花海(せのうみ)と 名付けてあるも
その山の 堤(つつ)める海ぞ
富士川と 人の渡るも
その山の 水の溢(たぎ)ちぞ
日の本の 大和の国の
鎮めとも います神かも
宝とも なれる山かも
駿河なる 富士の高嶺は
見れど飽かぬかも



高橋虫麻呂



甲斐の国と
駿河の国との
両方の国の真ん中から
聳(そび)える富士の高嶺は
天高く行き交う雲も進むのをためらい
空を飛ぶ鳥もその頂までは飛び上がれぬ程高く
燃える火を雪で消し
降り積もる雪を火で消し続けている
言いようもなく形容のしようもないほど
霊妙にまします神であるよ

石花海(富士五湖)と名付けてあるのも
その山が塞き止めた湖である
富士川と呼んで人が渡るのも
その山の地下水が溢れ出た川である
日の本の国の
重鎮としてまします神であるよ
国の宝ともなっている山であるよ
駿河にある富士の高嶺は
いくら見ても見飽きないことよ



先日、ユネスコ世界遺産委員会は、
日本の富士山を世界文化遺産として登録することを決めました。
登録名称は「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」と決定。

世界には富士山より大きい山はいくらでもありますが、
今回文化遺産に認定されたのは、
富士山に対する古代から歴々の日本人の抱いてきた想いの大きさが、
人類共通の文化遺産として
認められたということのようです。

文化遺産認定云々に関わらず、
古来からの日本人の富士山に対する想いの大きさは
変わるものではありませんが、
その感性が世界の人々に通じたというのは、
やはり、素晴らしいことでしょう。

ここは、「富士には月見草がよく似合う」などと、
ひねくれたことを言わないで(^_^;)、
富士を眺めながら、素直に喜べばいいんじゃないですかね。

さて、富士山は千年の昔から、
万葉集などでも様々な形で歌われてきました。
以前、山部赤人長歌を紹介したことがありますが、
今回は高橋虫麻呂長歌です。
個人的には、富士山への思いをすっきりと歌った山部赤人の歌の方が好みなのですが、
この高橋虫麻呂の歌も、なかなか思い入れが深く、
その思いは、富士五湖富士川など周辺の自然にも及んでおり、
今回の富士山及びその周辺が文化遺産に認定されたことに鑑みると
今回の記事に関しては、高橋虫麻呂長歌の方がふさわしいのかなと感じました。

また、選定対象に「信仰の対象としての富士」とありますが、
この歌には、古代の人々の富士に対する意識、
それは現代の我々が失ってしまったもの、
も読み込まれており、なかなか興味深いものがあります。

すなわち、冒頭の「なまよみの」とは、いわゆる「半黄泉(よみ)の」の意といわれ、
「甲斐」に掛かるかは不明とのことですが、
山梨県側の富士北麓は、いわゆる樹海が広がっており、
ある種独特の雰囲気をもった「なまよみ(半分黄泉の国)」の世界の意であることは
間違いないようです。
また「うち寄する」は「駿河」に掛かる枕詞で、
南方にある常世の国(死者の行く黄泉の国)から波が打ち寄せるという意だそうです。

つまり、古代人の感覚としては、
富士山というのは、黄泉の国(あの世)と現世の境界にまたがって
鎮座している神聖な山であり、
古代人は、現世の何ものをも寄せつけない、その神々しい姿を見て、
恐れおののき、畏敬し、崇拝したことは想像に難くありません。
富士山を見ては死を恐れ、生を垂れ流すことを戒めたのではないかと思われます。
少なくとも、ここ100年の現代人のように、
銭湯のペンキ絵にされるようなフレンドリーな山ではなかったでしょう。

自然的、神的意識が希薄化した我々現代人が、
今もってなお、富士山を見て、
漠然とした畏敬のようなものを感ずるのは、
古代人が強く感じていた意識の残り香のようなものかもしれませんね。

しかし、古代人といまだ意識を共通するものもあります。
それは「見れど飽かぬかも」の部分。
つまり、いつ見ても飽きない。

富士は一日とて同じ表情の日はなく、
絶えずその表情を微妙に変化させ、
常にインスピレーションを与えてくれる山です。
それが芸術における対象として、
人々の発想を喚起してきた部分は大いにあると、
自分もいつも見ていて感ずるところです。


なお、冒頭の雄々しい青富士ですが、
いつも懇意にしていただいているブログ友達さんから貸していただきました。
その方のブログは四季彩々の富士の姿を克明に捉えており、
こちらを見ていただければ、まさに百聞は一見にしかず。
自分が今申し上げた富士の美しい微妙な変化を
味わっていただけるのではと思います。
興味ある方はぜひご覧になってみてください。
(富士と野の花のブログ。)
http://blogs.yahoo.co.jp/okinaka194

なお、最後に蛇足ですが、
今までに書いた富士関連の記事を添付しておきます。

山部赤人長歌の記事
http://blogs.yahoo.co.jp/no1685j_s_bach/4627250.html
http://blogs.yahoo.co.jp/no1685j_s_bach/7598800.html
 
かつて自分が富士を食べた記事