らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「字余りの和歌俳句」正岡子規

 
「短歌三十一文字と定まりたるを三十二文字乃至三十六文字となし
俳諧十七字と定まりたるを十八字乃至二十二三字にも作る事あり。
これを字餘りと云ふ。」
で始まる、この正岡子規の文章。

短歌及び俳句はそれぞれ五七五七七、五七五の定型詩として、
自分は学校で教わりました。
ですから短歌俳句は定型に合わせて
創作しなければならないのではないかとつい思ってしまうのですが、
子規はそうではないと言います。
曰わく、それは人間が勝手に創ったルールなのだから、
そのルールに縛られ、歌風を損なうことはナンセンスであると。

また五七五のような定型詩というのは、
経験則的に最も日本語のリズムに叶うものであるから、
なるべくこの語調で創作することが、
歌のリズムという観点からも好ましいのではないかと思ってしまいます。
が、しかし、子規はこれについても反論します。
曰わく、三十一字ないし十七字に囚われるから
リズムがおかしいと感じるのであって、
それに囚われなければ、歌のリズムがおかしいと感じることもない。

これについては少々強弁の観もありますが、
子規がこのように少々強弁してでも
強く訴えたかったことは、
次の主張に帰結されるのではないかと思います。

世の人の多くは字余りの句を創作する者は、
奇をてらうことを狙っていると批判するけれどもそうではない。
自然に発露した感情、思いというものを、
従来の型に無理やりはめ込もうとする方が不自然なのだ。
三十一字や十七字にこだわってきた従来の短歌俳句は、
その言葉が言い古されて、そのほとんどが陳腐な表現になってしまっている。
だから今日の新しい感情、新しい思いを、
従来の型に無理にはめて、殺してしまわないように、
もっと自由で素直に歌に詠むべきなのである。

なんだか子規が熱く語るあまり、
思わずそのつばが飛んできそうな感じの勢いの熱弁です(^_^;)

他の文章とも併せ考えるに、
子規は明治初期における短歌俳句が単なる言葉遊びに堕し、
特殊な言葉や技法を用いたり、定型に上手くあてはめることで
満足してしまっている現状を憂い、
その者達が主張する根拠をやや煽り気味に叩いているようにも感じます。

逆にいえば、子規は、それほどまでに、
個々人が心で感じたこと思ったことを、
素直に自然に表現することに心を砕いていたともいえます。

このような物事に対する写実的な姿勢は、
和歌や俳句の世界のみならず、
友人夏目漱石などにも影響を与え、文壇にも大きな影響を与えました。

そして、子規の、対象から何かを見い出し、
そこから得たものを素直に表現しようとする情熱は、
死の直前まで衰えることはありませんでした。

自分もそういう子規の精神に賛同し、
ブログの自作の和歌俳句の題名を
この作品から拝借して「字余りの歌」としたり、
文学を始めとする芸術作品などを
世間一般でいわれていることにとらわれず、
自分の感じたこと思ったことを大切にして、
そのまま素直に表現しようと心がけているものです。


少し話は変わりますが、
実は自分、この前の週末、久しぶりに持病の頭痛に悩まされまして、
ずっと伏せっておりました(-.-;)

いわゆる病の激痛というものは、
非常に嫉妬深いところがありまして、
他に気を散らすことを許してくれないんです。
ですから本を読んだり、音楽を聴いたり、ブログを書いたりして、
気を紛らわすことも全くできず、
ひたすら頭痛の痛みと面と向かってつきあうしかない。

ご存知の通り、正岡子規は肺結核を患っており、
この文章を書いた翌年、大喀血して重態となり、
結核菌が脊椎を冒し脊椎カリエスを発症していると診断されます。
以後床に伏す日が多くなり、
やがて臀部や背中に穴が開き、膿が流れ出るようになり、
死ぬまでの3年間はほぼ寝たきりで、
寝返りも打てないほどの苦痛を麻痺剤で和らげながら、
俳句や短歌、様々な随筆を書き続けました。
以前紹介しました「病牀六尺」は死の数日前まで毎日書き続けられた随筆です。
http://blogs.yahoo.co.jp/no1685j_s_bach/10258235.html
 

今回頭痛を患ったことで感じたことがあります。
子規の激痛はその痛みから逃れるため、自殺すら考えてしまうようなもので、
自分の偏頭痛など比較対象となるものではありません。
それでも自分は何か物事を思ったり、考えたりする気分にとてもなれなかった。

しかし、子規は激痛のなかで、毎日何かしらの対象を見つめ、
そこから何かを感じ、書き留めることを続けました。
その執念というか精神力というか人間力みたいなものは、
凄いなと感嘆せざるを得ません。

自分も健康時には見習いたいなどと軽く言ったりしますが、
いざ実際、その身になってみると、
これを成すには尋常ならざるものが必要なことに気付きました。

今回の頭痛はそのことを拾えただけでも、
自分としては頑張った方かなと、自らを慰めている次第です(^_^;)
 
 イメージ 1
 病床の正岡子規