らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「万葉集を読む」正岡子規

子規は専ら万葉集を愛読研究し古今和歌集以降を重要視するに当時の傾向に批判的であったという。

ここでは万葉集の中から何首か抽出して解説を加え歌を詠むときの心得を説いている。

明治期というのは開国以来の西洋化ブームで短歌俳句の類は古きものとして打ち捨てられ、これといった人を得ていなかったのかもしれない。
そこに正岡子規が現れて盛んに短歌俳句の類を掘り起こした。
日本美術における岡倉天心と同じような役割を果たしたのかなという印象がある。
ただし正岡子規は自らも短歌俳句を詠む芸術家であるところが天心と異なるけれども。

この中で子規は従来固定的に考えられてきた規則にとらわれず自由にのびのびと感情の発露を歌に詠むべきことを繰り返し強調している。


例えば長歌を五七調に限るというように特定の調にこだわると歌のリズムが悪くなり感情がうまく発露しない。
三言四言六言に変化させてもよい。

あまり厳格に文法にこだわると文法規則によって感情の発露が制御されてしまう弊害がある。
うまく感情を表現できないなら文法を破ることを咎めるべきでない。

成語によりうまく表現できないのであれば自ら造語して歌に詠むことをしてもよいはずである。


などなど具体的に万葉集の個々の句の内容にまで言及しており非常にわかりやすい。

先日の夏目漱石「子規の画」の「拙」とは対極の一気呵成の勢いを感じる。
子規さん、ちょっと勢い良すぎじゃないですかというくらいに笑

特に文法に拘泥する歌人に対しては殊の外手厳しく文法学者に頼まれて文法の例歌をつくっているのかとまでこき下ろしている。

子規以前の明治期の和歌俳句をあまり読んだことがないのでここで子規が述べている批判が当たっているかはわからない。

しかし子規の言っていることは自分のように和歌俳句の類を創作したことなくこれからやってみようかという者に対しては非常にわかりやすく心強い。

とにかく感じたことを素直に表現することさえ心がけていれば最低限の和歌俳句の形にはなっているよと言ってくれているからである。

あとは調やら韻やら文法やらの決まりごとは発露した感情を磨き上げる道具として随時覚えていけばよい。
決まりごとは感情表現を遮るものではなく彩りを添えるものであるのだ。

子規のこのような間口の広いスタンスが和歌俳句のすそ野を広げ優秀な高弟を輩出した原因のひとつかもしれないとこれを読んでふと思った。