らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【テレビ番組】大河ドラマ「八重の桜」坂本龍馬登場の回

 
このところ、夏目漱石「こころ」の記事ばかりで
気が滅入りがちだったので(-.-;)
今日はちょっと趣向を変えた話を。

今年の大河ドラマ「八重の桜」。
ドラマの前半は、幕末の会津藩及びその人々を中心に描かれています。

4月14日の放送は薩長同盟締結の回。
薩長同盟というのは、今まで幕府による長州包囲網の有力な一角であった薩摩藩が、
密かに長州側に寝返り、
倒幕へと大きく歴史が転換した事件として知られています。

番組ではナレーションで
薩長同盟は土佐の脱藩浪人の仲介で行われた」と語るのみで、
坂本龍馬の名は告げられず、わずかに後ろ姿のみ。

ちなみに長州の高杉晋作は前々回写真のみで登場。
本来なら人気者の坂本龍馬高杉晋作をもっとおおっぴらに出演させてもよさげなのですが、
このようなドラマの構成は、当時の会津藩の視点、ものの捉え方というものを象徴しており、
自分的には非常に好感がもてました。

つまりは当時の会津藩の眼中にあったのは、
幕府の意向、各藩及びその藩主の動向程度で、
土佐の脱藩浪士など、顔はおろか名前さえも知らなくてよいようなちっぽけな存在だったのです。

だから会津視点の歴史ドラマでは、
坂本龍馬の後ろ姿だけの台詞なしで充分なのです。

高杉晋作は一応長州藩士ですから、
正面からの顔が明らかにされていました。
しかしながら、それも単なる写真であり、
家督もまだ継いでいない半人前の一藩士にすぎない高杉晋作が組織した、
国民皆兵制の前身たる奇兵隊の意義など理解できなかったことでしょう。

せいぜい百姓町人ふぜいに何ができるか、
百姓に戦(いくさ)させるなど武士の名折れ、
という旧態然たる蔑み程度であったと思われます。

会津藩には、一脱藩浪人が重要な同盟のフィクサーの一端を担ったり、
武士でない市民(農民や町人)で構成された軍隊の強さを理解することは到底できなかった。
国を動かすのは幕府及び大名、そして先祖の遺訓であるという
二百数十年間続いた封建体制の思想にどっぷりとつかって
一個人の自由な発想が国の運命をも変えてゆく
近代的な思想など及びもつかなかった。

確かに会津にも開明的な目を持った人々がいました。
例えば主人公八重の最初の夫である川崎尚之助
彼の鉄砲に対する並々ならぬ熱意は敬服すべきものがあります。
が、しかし、それも技術の分野に止まっており、
彼も技術者の域を越えるものではありません。

歴史を変えるのは技術そのものではなく、
世の中を先取る思想なのではないか。

長州や薩摩の人々は、少なくとも肌でそれを感じることができた。
しかし会津の人々は到底そこまで及びもつかなかった。
神君徳川家康の遺訓を守り、初代藩主の言葉を
頑(かたく)なに墨守しさえすればよいと信じていた。

その結果、白虎隊のような少年達や女子供、老人にいたるまで、
旧態然たる徳川幕府を最後まで守って散っていった。

長州の志士達が未来に殉じたといえるなら、
会津の人達は過去に殉じたといえるのかもしれません。


歴史ドラマというのは、その時代の全てのオールスターキャストを
出せばいいというものではありません。
その主人公の立ち位置や視点によって、
一般的に有名な人物でも小さく扱われることもあれば、
さほど有名でない人物でも大きく扱われることがある。
そういうメリハリが効いている点で、
「八重の桜」はなかなか良質の歴史ドラマではないかと
個人的には感じます。