らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「母への追慕」上村松園

 
前回の記事でも申し上げましたが、
松園は生まれる2ヵ月前に、父親を亡くし、母と幼い姉との生活を送ることになります。

言い方を変えますと、松園の母は臨月の身重で、
頼るべき夫を失い、幼い娘二人を抱える身となったのです。
この時、松園の母26歳。
皆さんなら、この時、どのように生きてゆこうとするでしょうか。

親戚の者が行末を案じて
「子供二人つかまえて女手ひとつで商売もうまく行くまい。
姉のほうは奉公にでも出して世帯を小さくしたらどうか。」
などと助言したりしますが、
それに対して、皆さんならどう対処するでしょうか。

松園の母がどうしたかは、
ぜひ作品を読んでいただきたく思うのですが、
少しだけ結論を申しますと、
松園の母は、一番苦しい道かもしれませんが、
一番大切なものを失わない選択をしました。

そして、こういう人達には、ささやかでも平穏に生活していって欲しいと思うのですが、
なぜか次々と災難が降りかかることがあります。

松園19歳の時、隣家からの類焼で自宅が全焼してしまうのです。
なすすべなく、日用品から着物から、家の商売道具、娘の絵の道具や品々に至るたまで、
家の物が何ひとつ運び出せなかったとしたら、
皆さんならどう感じ、どのように行動するでしょうか。
松園の母がどういうことを言って、どうしたかについても、
ぜひ読んでいただければと思います。

今回、松園の母の言動などについて直接抜き出してコメントしないのは、
自分が余計なことをつけ加えることで、
却って松園の思い出の雰囲気が壊れてしまうのではないかと思ったからです。
それほどに、この作品は母への想いにあふれた素朴な素晴らしい作品ですので、
ぜひ目を通していただければと思います。

そのほかにも、
母が生計のため、葉茶屋を営んでおり、
松園が子供のころ、夜中にふと目をさますと、
母が作業する店先から茶葉の香りが匂ってきて眠りについた話や、
松園十歳の頃、雪の中を母を迎えに行った話など、
母への想いを語る文章は他にも多々あれど、
飾ることなく非常に素直に、松園の心奥から紡ぎ出された母との思い出は、
心にじわっとくるものがあります。


松園は母を評して、次のように言っています。

「私を生んだ母は、私の芸術までも生んでくれたのである」


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障子を開けて、夕暮れの光で針に糸を通そうとしている女性。

「西陽はもう傾いて辺りはうすぼんやりと昏れそめても、
母は気づかぬげにやはり縫い続けて居られる。
ふと、静かな母の針の運びが止まる。
「もうちょっと、ほんのこれだけ縫うたらしまいのんやよって
……ほんに陽のめが昏ろうなった……」
半ば独りごち、半ば背後の私に言うかのように小さな声でそう言われて、
つと障子の傍らまでいざり寄られ、針を眼の高さまで挙げ、
右の手には縫糸の先を持たれたままの格好で、
片方の眼をほそく細く閉じられて、じっと針の目を通そうとなさっている。
その姿が私の幼なこころにも、
このうえなく一筋に真剣な、あらたかなものに想われたものでした。」

この「夕暮れ」という作品、
絵の女性が、一点をじっと見つめているという点では「序の舞」と同じです。
しかし、まだ見ぬものへ気丈に凛と立ち向かうような「序の舞」に対し、
「夕暮れ」の女性は、針の穴に糸を通そうと一心に見つめている。
家族の衣類の繕いものなのでしょうか。
着ている着物などは「序の舞」の女性とは比べ物にならない地味で粗末なものです。
しかし、その表情の輝きは勝るとも劣らぬものがあります。
そして何よりも、「序の舞」の女性に感じた
ぽつんと独りきりで立っているような孤独感のようなもの、
「夕暮れ」の女性にはそのようなものは全く感じません。
女性の微笑みも、「序の舞」のそれより、
より深く、温かく、力強く、安らいだものに感じます。
ほのかに笑みを浮かべながら、一心に針の穴を見つめるその姿は、
松園の母が、娘達を一心に見つめて生きる姿そのものといえるのかもしれません。

「私の母も人一倍丈夫な体をもっていた。病気というものを知らなかったようである。」
と松園は述懐しており、
松園の母は、八十まで医者いらずで八十六で亡くなられたそうですが、
一生を無我夢中で生きてきて、
気がついたらおばあちゃんになっていたという感じかもしれません。

この話を読んで、自分は、
野口英世の母の話を思い出しました。
上村松園野口英世は、実は1つしか年が違わない同年代の人達なのです。
野口英世の母に比べると、松園の母は柔和な感じで、
女の子のお母さんという感じがしますね。

このような話をすると、子供のために自分の人生を犠牲にして頑張られた…
とおっしゃる向きもありますが、
自分は、彼女が、自分自身の人生を真正面から見つめ、
力強く彼女自身の人生を生き切ったのだと感じています。