らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【人物列伝】32 ヴァラドンとユトリロ 後編

 

 
 
 
後編は、ユトリロについて述べようと思います。

前編でも申し上げましたが、この記事は、一般に世間に流布してる、
母ヴァラドンと息子モーリス・ユトリロについてのエピソードを、
なぞってまとめたものではなく、
美術展で二人の作品や写真などを見て、
自分がそこから感じ取ったことを自由に書いたものです。


 
息子ユトリロにとって、
母ヴァラドンは、どのような存在であったのでしょうか。


おそらく、息子として、愛してほしいと求めるべき存在でありながら、
同時に、何が出てくるかわからない、
おっかなびっくりな存在だったのではないかと、
自分は感じています。

様々な男性と付き合ったり、絵画を描いたりと忙しかった母は、
なかなかその姿を息子に見せなかったといいます。
絵を描いている時に、幼いユトリロが部屋の中に入ろうとすると、
ドアの向こうから入ってくるなと怒られたとか。

息子のほとんどの面倒を自分の母に任せ、 自らは自分の仕事に没頭する。
このあたりは日本画上村松園母子と大いに重なるところがあります。

上村母子もそれぞれに大成した画家ですが、
息子の松篁氏は、気強い母に比べて少々気弱なところが似ていますし、
子供時代、ユトリロは建物の崩れた漆喰で遊んでいたことから、
あのような街並みの作品しか描かなかったというエピソードがあるように、
同じく母に相手にしてもらえず、
花や虫を専ら遊び相手とした松篁氏も、花鳥風月しか描かなかったところも似ています。


ユトリロを絵画の世界に誘(いざな)ったのは母ヴァラドンです。
そういう意味ではヴァラドンは、肉体としての息子を生み出しただけでなく、
芸術家としての息子を生み出したともいえます。


ユトリロにとって絵を描くということは、
心の調律だったのではないかという方がいらっしゃいます。
非常にいい得て妙な表現だと思います。

すなわち、ユトリロは絵を描くことで、
歪んでずれてしまった心を、本来あるべき正常なものに戻して、調えていった。
ユトリロの作品は、ある意味、
彼の心が整った状態の心象風景なのではないかと。

自分は、前の記事で、ユトリロの作品の、
建物や街路の直線や曲線の組み合せと空間の配置が、絶妙に調和がとれていて、
そこに白がしっくりとハマっている。
すっきりとして美しく、無理がない。
飽きずに、いつまでも眺めることができる。と申し上げましたが、
それは調律をし終え、調和のとれた状態を取り戻したユトリロの心と、
自分の心がぴったりと合わさり、共鳴したところがあったのかもしれません。

その後も、年が二十以上も離れた息子の親友と結婚して、
3人の奇妙な関係を強いられたり、



(ヴァラドンと結婚したユッテルとユトリロ

いろいろなことをやらかした母でしたが、
結局、最後は母と息子の元の生活に戻ってゆきました。

そして、ユトリロ 54歳の時、母ヴァラドンは亡くなりました。72歳でした。
ユトリロはその死に強い衝撃を受け、葬儀に参加できなかったといいます。

ユトリロとっては、次に何が飛び出してくるのかわからない、
彼を大いに悩ませた母ではありましたが、
やはり心のよりどころとなる頼りにすべき愛すべき対象であったのでしょう。

前の記事で、家族の愛情というのは、
たかが一つの色の糸で繋がっている、か細いものではなく、
喜怒哀楽、ありとあらゆる思いの数だけの色の糸で紡がれている、
切ろうとしてもなかなか切ることができない関係だと申し上げました。

ヴァラドンユトリロのそれは、
通常の母子よりも、より様々な色彩の、
より多くの糸で紡がれていた関係であったといえるかもしれません。



展覧会の最後に展示されてあった母のポートレートを見つめるユトリロ





亡き母を偲び、じつと在りし日の母を見つめ、思いにふける構図は、
確かに絵になる美しいものですが、
波乱万丈、 紆余曲折のユトリロ母子の物語をひととおり見ると、
ちょっと自分の感覚的には、撮影した者が、
ステレオタイプに、きれいにまとめ過ぎているような気がします。


 

こちらの写真。






半獣半人の伝説上の生き物の石像の横で、膝小僧を抱えながら、
子供のように、困ったような、半べその、半笑いのような、
なんともいえない表情を浮かべているユトリロ

半獣の石像はどことなく母ヴァラドンに似ています。
息子がすぐ傍らにいるのに、心ここにあらずの表情。
でも息子は離れずに寄り添っている。

これこそ、ユトリロ母子の関係を、最も的確に捉えたものではないかと自分は感じています。