らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「作画について 序の舞」上村松園

 
自分が子供の頃、「序の舞」という映画が公開されました。
名取裕子さん主演で、とある女性日本画家の生き様を描いたものです。

その女性の名は上村松園





もともとは宮尾登美子さん原作の作品なのですが、
どうも映画では、主人公の、男性に対する情感、情愛のようなものに、
描写が偏っていたような気もします。

確かに実際も、松園は未婚の母となってしまったり、
年下の男性との恋愛沙汰ということは事実としてあったようですが、
映画で名取裕子さんが演じたような奔放な感じであったかというと、
そういうわけでもないようです。

残された随筆などを読みますと、
全体の印象として、非常に慎ましやかな楚々とした感じを受けます。
が、やはりこの人は情熱の人だなと感じざるを得ない部分があります。
絵に対する情熱が桁外れている感があるんです。

60歳半ばを過ぎるまで、
夕方頃からあくる日の昼過ぎまで毎日16時間ぐらいぶっ通しで絵を描き続け、
四晩三日の徹夜も苦にならない。
疲れ果て、その日はもうおしまいにしようと、絵の具を片づける際、
片づけで偶然出来上がった絵の具の色にインスピレーションが浮かび、
またそこから何時間も絵を描き続ける。

松園曰わく、
「描き出すと、こちらが筆をやめようとしても
手はいつの間にか絵筆をにぎって
画布のところへ行っているという、
いわば絵霊にとり憑かれた形であった」

彼女をこれほどまでに絵に突き動かしたものは何だったのでしょう。

それは、松園の代表作「序の舞」をご覧いただいて、
何かを感じていただければと思います。
松園61歳の時の作品。

曰わく、
「この絵は、私の理想の女性の最高のものと言っていい、
自分でも気に入っている「女性の姿」であります」


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月並みな表現ですが、
女性の、凛とした表情に、すっと背筋が伸び、一点をみつめるその姿。
涼やかに微かに口元に笑みをたたえながら、
清としてその姿勢を保っている。

見ていて、ぴーんと張った独特の緊張感みたいなものを感じるとともに、
じっと眺めていると、女性の艶やかさ、清々しさのようなものがにじみ出てくる。
眺めれていれば眺めているほど、
松園の、絵に込めた様々な思いが滲んでくるような作品です。

一見静かな印象の絵ですが、
女性の美しさとは。
という松園自身の厳しい自問自答のようなものが垣間見え、
ハッとする瞬間があります。

「何ものにも犯されない女性の内に潜む強い意志をこの絵に表現したかった。
一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香り高い珠玉のような絵こそ、
私の念願するものなのです」
松園は、このように言っています。

松園は生まれる2ヵ月前に、実父を病で失い、父の顔を知らず、
幼少からずっと母子の暮らしが続いてきました。
そして前述したように、長じてからの男性関係も必ずしも幸せなものだったとはいえません。
仕事でもそうです。
女性であるということを感じざるを得ない数々の出来事。
展覧会に展示されている絵の中の、
女性の顔に落書きされてしまったこともあります。

否が応でも、そのようなものを意識せざるを得ない状況で、
自分は女性として、いかに生きるべきか、
理想の女性とはどのあるべきか、
ということを、常につきつめて生きてきたのかもしれません。

ある意味、そのような境遇の女性は、他に、いくらでもいたのかもしれません。

しかし松園が素晴らしいのは、そういう人生における不合理な部分、報われぬ部分を、
ただ単に吐き捨てることなく、
そこから意義あるものを追求し、表現するエネルギーに転嫁し、芸術として昇華させたことです。

「序の舞」が一見静かさをたたえながら、
ある種の存在感というか、エネルギーみたいなものを感じるのは、
そのせいなのかもしれないと思います。

しかし、ある別な時に「序の舞」を見ましたら、
ぽつんと独り、気丈夫にではありますが、
孤独にといいますか、淋しげに立っている風にも見えたことがありました。

絵というものは人間と同じなんです。
一番最初にパッと見た印象というものがありますが、
それが作品の全てというわけではありません。
別の日に接すると、それとは別の印象を受けることもある。

ですから絵を一度見ただけで、
ああ、この絵は一度見たことあるから、わかっている。
と思うのは非常に早計なところがあります。

優れた作品であればあるほどそうである気がします。

ある日、孤独で淋しげに見えた絵の中の女性も、
松園の深奥にひそむ一つの姿なのかもしれないと感じました。