らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「フランドン農学校の豚」宮澤賢治

今まで、様々な宮澤賢治作品について触れてきましたが、
彼の作品は、自然の表現とそこで生きる人々の表現が、
とても美しく、優しい気持ちになれるものが多いですよね。

しかしながら、それらとは、ちょっと毛色の異なる作品もあるんです。
ブラックユーモアといいますか、ホラーといいますか。
ユーモアな描写にクスッとしながらも、
背筋がゾゾゾとするといいますか、
今日は、そんなちょっと異色の作品を紹介したいと思います。


この物語に出てくる主人公の豚は、
人間と同じように知性があります。
最初は自分は白金と同じ価値があると言われ、
悦に入ってますが、
すぐに雲行きが怪しくなります。
周りの人々の会話や雰囲気により、
自分はどうにかされてしまうんではないかと
ビクビクした毎日を送るようになります。

しかし、それが何だかよくわからない。

このおどおどした豚の心持ちが非常にうまく描写されており、
いつの間にやら豚に感情移入してしまい、
得体の知れない不安感におののいている豚に対し
思わず同情の念を抱いてしまいます。

それにしても、これはこの作品全編にわたることですが、
賢治は、豚の特徴や表情、そしてそのしぐさなどを
実によく観察して描写しています。

「豚の方でも時々は、あの小さなそら豆形の怒ったような眼をあげて、
そちらをちらちら見ていたのだ。」

確かに豚の目って、そんなですよね。
うまい表現だなあと感心します。
実際に生きている豚をじっくり観察していたんでしょうね。


実はこの作品の豚は、食肉用に飼育されていた豚だったのです。
この作品の世界では、家畜を屠殺するには、
家畜自身による死亡承諾書への調印が必要なのですが、
豚に調印を迫る人間の姿は非常に高圧的で、
自分の目的を達成するために、
豚の気持ちなど全く意に介さない生き物として描かれています。

この調印をめぐる校長と豚のやり取りの描写が、
非常によくできていて、手に汗握る緊張感あるやり取りと申しますか、
もし自分が豚の立場だったら…と考えると
読みながらゾッとします。

結局、豚は半ば強制的に死亡承諾書に調印させられ、
その後すみやかに解体されてしまいます。

最後の、豚が解体されて吊された雪の風景の描写。
いつもは、きれいなすきとおった白い雪のイメージが、
今回に限っては、異様に白く光るおぞましいもののようにも感じます。


この作品で、賢治は解体までに至る豚の哀れな様子を刻々と描写するのみで、
直接どうしろこうしろとは書いていません。

では彼は、この問題をどのように考えているのでしょうか。

人間は他の生き物の命を取って、
自らの命をつないでいる動物です。
というより地球上に存在する生き物は、
微生物のレベルに至るまでそういうものでしょう。

一切動物の肉を口にしない。
という考え方もあります。
しかしながら、それでは植物だったらいいのかというような、
線引きの問題は依然残ります。
人間が勝手に線引きすること自体、
作品中の、上から目線の校長の態度と変わらないともいえます。

賢治は他の作品で自然との調和、共生ということを強く訴えます。
人間が、その大きな自然の一部であることを意識して
生きることを是とする考え方ですが、
それならどう考えるべきかは、
自然そのものに聞くのが一番良さそうです。


まず自然(野生動物)は、自分の糧となるものが
自然に生きる命あるものであることは認識していると思われます。
そして自然は、自分が生きるのに必要な以外の命を基本的に殺めません。
自分が食べて命をつなぐ以上のものを、
その他の目的、楽しみのために殺めるというようなことは、まずありません。

そして、食べている時は、
驕り高ぶり相手を見下すということなく、
かといって逆に、相手のことを考え、嘆き悲しんで食べることもなく、
ただひたすら黙々と生きるために食します。

とするならば人間も、
自分の食べているものが、もともと命あるものであることを意識しながら、
ぞんざいにせず、大げさに嘆き悲しむこともせず、
美味しく残さずに黙々と食すべし。
こんな感じが一番自然と調和しているのではないかと感じます。

先の記事の、米沢で出会った米沢牛の花子も、
自分は知らず知らずのうちに
そういう基本的な意識すら忘れてしまっていて、
生きている時の姿を見て、
ちょっとびっくりしてしまった。
自分は、賢治言うところの、自然を常に意識して生きるということを
忘れてしてしまっていたのかもしれません。

別に特別なことをする必要はないと思うんです。
食前食後の「いただきます」「ごちそうさま」を言うだけで事足りると思うんです。
それらの言葉に実さえこもっていれば。

そういうことすらも、自分も含めて今の人々は、
意外におろそかになってしまっているような気もします。
 

 



さて、この作品では、主人公の豚がまるで人間と同じように、
喜び、悩み、苦しみという心を持っているものとして
描かれています。
これは賢治が、高慢な人間の姿を浮き立たせるため、
そのような設定にしていると考えられますが、
動物にも感情があるというのは、
あながち全くの絵空事というわけでもないようです。

いつも懇意にしていただいているDangoさんが、
たまたまそれに関する記事を掲載していらしたのでアップしておきます。
http://blogs.yahoo.co.jp/nemoto_jun/10159197.html
ダンゴムシに心はあるのか (PHPサイエンス・ワールド新書)」
「動物に魂はあるのか(中公新書)」
といった書籍の紹介や、
古今の哲学者の考え方に至るまで詳細に紹介され、
ユニークな視点で、ご自身の考えを述べられています。

ぜひご覧になってみてください。
とても面白いですよ(^^)