らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「虔十公園林」宮澤賢治

先日、宮澤賢治を知るための作品として
挙げさせていただいた「虔十林公園」ですが、
巷では、あまり有名とはいえないかもしれません。

しかし、この作品の主人公虔十(けんじゅう)の生き方が、
宮澤賢治の生き方と重なり合うと感じる部分も多々あり、
ぜひ読んでいただけたらと思います。


この作品の主人公虔十は、いわゆる、やや頭が足りない人でしたが、
真面目に、そして正直に毎日を送っていました。

普段は何のおねだりなどもしない虔十ですが、
ある日、両親に杉の苗を買って欲しいとねだります。
なんでも裏の芝原に苗を植えて育てたいから、とのこと。

虔十の両親や兄は、好きにやらせてやろうと好意的に協力しますが、
それを聞いた人々は虔十を嘲笑します。
あんな処に杉など育つものではない、
底は硬い粘土なんだ、
やっぱり馬鹿は馬鹿だと。

実際、それはその通りで、杉は5年まではすくすく育ちましたが、
もうそれから先は、成長が鈍り、
木の高さも3mほどで止まってしまいました。
それでも虔十は、自分の植えた杉を律義に、大切に愛でて育てます。

そのうち、虔十の林は子供の遊び場のようになりました。
虔十は、それを、子供達と一緒になって喜びました。
その時の、虔十と杉林の描写が、とても温かく柔らかく、そして美しくて、
自分はとても好きなんです。


虔十もよろこんで杉のこっちにかくれながら
口を大きくあいてはあはあ笑ひました。
その日はまっ白なやはらかな空から
あめのさらさらと降る中で
虔十がただ一人からだ中ずぶぬれになって
林の外に立ってゐました。
その杉には鳶色の実がなり
立派な緑の枝さきからは
すきとほったつめたい雨のしづくがポタリポタリと垂れました。



しかし、虔十に好意的な人間ばかりではありません。
隣に住む平二は虔十を馬鹿にし、
なにかとイチャモンをつけては、
杉を切れと強迫します。

しかし、虔十は何度頬をなぐりつけられても、
それを受け付けません。
平二もそのうち気味が悪くなって
諦めざるを得ませんでした。

しかし、その年の秋、流行り病のチフスで、虔十は亡くなります。

ところが、家族は、唯一の形見みたいなものだからと、
辺りがどんどん町になっていっても、
虔十の林をそのままにしておき、
子供達に遊ばせるままにしておきました。

そして20年が経ち、
虔十の家族もすっかり年老いてしまいました。

そんなある日、その村出身の米国の大学教授になった若い博士が、
たまたま講演で帰郷した際、
昔、自分が遊んだ時と変わらず
そのままになっている虔十の林を見て、
驚きそして感動します。

そしてそこを虔十公園林として、
いつまでもそのままで、保存するように提案します。
昔、虔十の林で遊んで、今は立派に大人になった他の人からも、
激励の手紙やお金が届き、それは実現しました。

これは、この作品最後の描写です。


虔十のうちの人たちはほんたうによろこんで泣きました。

全く全くこの公園林の杉の黒い立派な緑、さはやかな匂、
夏のすずしい陰、月光色の芝生が
これから何千人の人たちに本当のさいはひが何だかを
教へるか数へられませんでした。

そして林は虔十の居た時の通り
雨が降ってはすき徹る冷たい雫を
みじかい草にポタリポタリと落し
お日さまが輝いては
新らしい奇麗な空気をさはやかにはき出すのでした。



宮澤賢治もいろいろな物語を書きましたが、
生前、それを理解し励ましてくれたのは、妹のトシだけであったといいます。

生前唯一出版した「注文の多い料理店」も自費出版で、
売れ残った本は賢治自身が買い取り、知り合いに配ったとか。

そして賢治は1933年(昭和8年)9月21日に亡くなります。

未発表の作品は、大きなトランクにひとまとめに入れられ、
しばらく放置されたままでした。
そこには「雨ニモ負ケズ」の詩や「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」などの草稿も入っていました。

しかし賢治の両親を始め、文通をしていた友人や賢治の教え子など、
賢治の作品に触れていた人々の、
ささやかな善意が積み重なり、
賢治の未発表の作品は日の目を見るに至ります。

そして、少しずつですが、賢治が作品で言いたかったことが理解され始め、
次第に広く人々に読まれるようになってきました。

最後の
「これから何千人の人たちに本当のさいはひが何だかを
教へるか数へられませんでした。」

とは賢治自身の残した作品そのものの話としても、
全く違和感がありません。

そして
虔十の林が、虔十亡き今もなお、
新しい奇麗な空気をさわやかにはき出すように、
賢治の作品も、賢治亡き今もなお、
新鮮な、美しいメッセージを我々に送り続けています。


賢治は、自分の死後のことまで予知できたというわけではないでしょう。

しかし、ある美しい素晴らしい強い意志を持ち続けて行動すれば、
虔十のように、その価値に触れた人々の善意が集まり、
その心はいつまでも人々を癒やし続け、生き続けるということを、
賢治自身、強く信じていたのではないかと思います。

そのように確信していた賢治が、
自身の人生をもって、それを証明したといえるかもしれない…
この作品を読んで、自分はそう感じざるを得ませんでした。
 
 

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賢治と妹とし
 
賢治は2つ年下のこの妹をとても可愛がり、
としは賢治の小説の唯一と言っていい理解者でした。