【父の病】7
8月末に帰省して、父を見舞って以来、
1ヵ月半ぶりに名古屋に帰省しました。
9月末に父が転院したので、
新しい病院の様子を見に行くことと、
来るべき自宅療養に備えて実家の片付けなどしなければいけませんでしたので。
本当は転院する際、帰省したかったのですが、
9月末は会社が忙しかったこともあり、
今回の帰省と相成りました。
父の病状ですが、ある意味、良い意味でも悪い意味でも安定しており、
虚空を見つめたまま、目の焦点も定まらず、
まあいわば、生まれたばかりの赤ちゃんみたいなものです。
ただし赤ちゃんのような生の塊のようなものは感じません。
1ヵ月半ぶりに名古屋に帰省しました。
9月末に父が転院したので、
新しい病院の様子を見に行くことと、
来るべき自宅療養に備えて実家の片付けなどしなければいけませんでしたので。
本当は転院する際、帰省したかったのですが、
9月末は会社が忙しかったこともあり、
今回の帰省と相成りました。
父の病状ですが、ある意味、良い意味でも悪い意味でも安定しており、
虚空を見つめたまま、目の焦点も定まらず、
まあいわば、生まれたばかりの赤ちゃんみたいなものです。
ただし赤ちゃんのような生の塊のようなものは感じません。
静かなんです。どこまでも静か。
それも生を感じさせるものではなく、
反応のない静かさというんでしょうか。
見ていて、ちょっと不思議な感覚です。
前回同様、意思疎通はもちろん、できませんし、
五十音と「はい」「いいえ」のボードを示しても、無反応なので、
健常者のように、思考のかけらを集積し、
意思表示をするということができないのでしょう。
母に言わせると、今回は調子が良さげな日だったそうで、
日によっては、かなり顔色が冴えない日もあるそうです。
どちらにしても、生と死のはざまをよろよろと彷徨(さまよ)っている感は否めません。
こんなことを言うのは不孝かもしれませんが、
ちょっと父のことを哀れに思ってしまいます。
このことについて、今回の母との対話や、転院の際のエピソードを通じて、
感じたこともありましたので、
記事がまとまったら、また掲載したいと思います。
やや重いトーンの記事になってしまうかもしれませんが、
人間誰しもが通過する道ですし、一度はじっくりと考えることでもあり、
ひょっとして、読んでくださる皆さんの参考になることもあるかもしれませんので、
また近々にでも。
家に帰ると、来るべき自宅療養に備えて、
実家の片付けをしました。
玄関脇の和室は現在母の部屋になっているのですが、
そこを父の自宅療養のスペースにするため、
母が結婚の嫁入り道具で持参してきた和箪笥2棹のうち、1棹処分することに。
父と母が結婚して40年余りですので、
ある時は自分達のオシメの類、ある時は自分達の下着類、
そのサイズもどんどん大きくなってゆき…
というように、ずっと苦楽をともにしてきたものなのです。
しかし今回のことで、他にスペースもないことから、
やむなく処分することになりました。
「物にもやっぱり終わり時っていうものがあるからね。
40年以上、この箪笥も、本当によく頑張ってくれたわ。」
母は、自分と弟が箪笥を処分する作業をしている際、
ふと、そんなことを言っていました。
年数でいえば、子供の自分達より長く、
結婚して以来、母につき従っていた箪笥ですけれども、
母にはそれに対する執着というものは、
すでに自らの心に収めていたようです。
それも生を感じさせるものではなく、
反応のない静かさというんでしょうか。
見ていて、ちょっと不思議な感覚です。
前回同様、意思疎通はもちろん、できませんし、
五十音と「はい」「いいえ」のボードを示しても、無反応なので、
健常者のように、思考のかけらを集積し、
意思表示をするということができないのでしょう。
母に言わせると、今回は調子が良さげな日だったそうで、
日によっては、かなり顔色が冴えない日もあるそうです。
どちらにしても、生と死のはざまをよろよろと彷徨(さまよ)っている感は否めません。
こんなことを言うのは不孝かもしれませんが、
ちょっと父のことを哀れに思ってしまいます。
このことについて、今回の母との対話や、転院の際のエピソードを通じて、
感じたこともありましたので、
記事がまとまったら、また掲載したいと思います。
やや重いトーンの記事になってしまうかもしれませんが、
人間誰しもが通過する道ですし、一度はじっくりと考えることでもあり、
ひょっとして、読んでくださる皆さんの参考になることもあるかもしれませんので、
また近々にでも。
家に帰ると、来るべき自宅療養に備えて、
実家の片付けをしました。
玄関脇の和室は現在母の部屋になっているのですが、
そこを父の自宅療養のスペースにするため、
母が結婚の嫁入り道具で持参してきた和箪笥2棹のうち、1棹処分することに。
父と母が結婚して40年余りですので、
ある時は自分達のオシメの類、ある時は自分達の下着類、
そのサイズもどんどん大きくなってゆき…
というように、ずっと苦楽をともにしてきたものなのです。
しかし今回のことで、他にスペースもないことから、
やむなく処分することになりました。
「物にもやっぱり終わり時っていうものがあるからね。
40年以上、この箪笥も、本当によく頑張ってくれたわ。」
母は、自分と弟が箪笥を処分する作業をしている際、
ふと、そんなことを言っていました。
年数でいえば、子供の自分達より長く、
結婚して以来、母につき従っていた箪笥ですけれども、
母にはそれに対する執着というものは、
すでに自らの心に収めていたようです。
もちろん長年愛用してきた思い出の品ですし、
執着はあるにはあったのでしょうが、
これから父を介護しなければならないという意志と、
未来をより良く生きなければという意欲が、
それを上回っていたというところなのでしょう。
そんなこんなの作業で秋の一日はあっという間に過ぎてゆきました。
「父の病」というタイトルがら、
どうしても記事のトーンが暗くなりがちですが、
前回の帰省の記事でも申し上げましたが、
必ずしも暗いことばかりではありません。
次の日には、姪っ子とイケメン?伯父さんのテニス対決などありましたので、
その話題なども、お伝えしようと思います。
執着はあるにはあったのでしょうが、
これから父を介護しなければならないという意志と、
未来をより良く生きなければという意欲が、
それを上回っていたというところなのでしょう。
そんなこんなの作業で秋の一日はあっという間に過ぎてゆきました。
「父の病」というタイトルがら、
どうしても記事のトーンが暗くなりがちですが、
前回の帰省の記事でも申し上げましたが、
必ずしも暗いことばかりではありません。
次の日には、姪っ子とイケメン?伯父さんのテニス対決などありましたので、
その話題なども、お伝えしようと思います。