らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「ハナとタマシヒ」平山千代子

平山千代子さんの作品は、これまでにも、いくつか紹介してきましたが、
どの作品も、屈託のない、無邪気な十代の女の子らしい初々しさにあふれています。
文章だけみると、現代のブログに掲載されていても、
違和感のない、時代を超えた瑞々しさを保っています。


時は昭和10年前半、国内に軍国主義が幅をきかせてきたとはいえ、
まだ日本国内に戦争の影が忍び寄る前の、ささやかな小春日和のような時代。

それにしても、平山さんは、おっとりしているというか、
今でいう天然ボケのような、愛らしい、いいキャラをしています。
彼女に、友達が大真面目に
「鼻水は脳みそが腐って、鼻から出たものだ」
と力説すると
ふむふむと感心して、そのまま信じてしまう。
なにか、ゆるやか~に時間が流れている感じの女の子ですね。

少し話外れますが、
「なるほど」などの言葉を、「はあーんナルペソ」みたいに、くだけて言う感じ、
戦前から言ってたんですね(^_^;)


そのように友達から仕入れたガセ情報を、
「ハナはノーミソの腐つたものなんですつてさ」と、
したり顔ですまして、家族に披露したもんですから、
家族全員に大笑いされた下りは、
読んでいる自分も、その家族の輪の中にいるような、
なんともいえない、楽しく、可笑しく、温かい空気のようなものを感じます。

ここの下り、とても好きな部分なんです。

それにしても、鼻水が脳みそが腐って出てくるものだとしたら、
花粉症の人は、毎年春先に、脳みそをほぼ入れ替えることになるでしょうから、大変なことです(^_^;)
また春先は、脳みその量が減っているので、試験の類は確実に落第しそうですね。


後半の「タマシヒ」の話も、平山さんのおっとりした愛らしいお話なんですが、
まず、冬のある日、7、8人の友達と校舎の板かべに寄りかかって、
日向ぼつこしながらというシチュエーションが、
なんとなくほのぼのしていて笑えます。

文中の彼女らのやりとりを読んでいると、
彼女の友達も、どこか性格というか雰囲気というか似てるんですよね。

平山さんも、目をつぶってグリグリすると、
眼と眼の真中に見える黄色い円い輪が「タマシヒ」であると、
期待通り?友達の言うがまま信じています(^_^;)


そんな平山千代子さんも、昭和19年8月2日の今日、18歳で病で亡くなられました。

本当に夏の真っ盛りに亡くなられたんですね…

真夏の蝉しぐれを聞きながら、
彼女の黄色い輪の形をしたタマシヒは肉体を離れていったのでしょうか。

若くして、この世を去ってしまうのをみることは、本当につらくて悲しいことです。

でも、人の命数だけは、いかんともし難い。

この世に残された者は、ちょこっとの間だけ泣いて、
亡くなった人を送り出してあげることしかできません。


しかし、人は、彼女の書いた作品を通じて、
彼女の「タマシヒ」に再び巡り会い、会話することができます。

それは、なんとも素晴らしいことです。

そう思うと、言葉というもには何かしらのものが宿っていると、
思わざるを得ません。


ところで、文中にある「タマシヒ」の見え方、
自分もかなり目をぐりぐりして、やってみたのですが、
黄色い輪のタマシヒが見えたような見えないような…
ひょっとして、自分にはタマシヒが無い、もしくは薄いのかも(^_^;)

そんなことはないと、むきになってグリグリしても、目の前の暗闇が深まるばかり…

とりあえず、「タマシヒ」がはっきり見えるまで、
会社などでも目をグリグリして確かめたいと思ってます。
しかし、なんではっきりと見えないんでしょうね(-.-;)