らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「オリンポスの果実」田中英光

 
ただ今、ロンドンオリンピック真っ盛りで熱戦が続いていますね。

ところで、オリンピックをテーマにした小説があるのか?と問われれば、
実は、これがあるんです。

田中英光という作家の「オリンポスの果実」という作品なんですが、
作者自身、1932年のロスアンジェルスオリンピックのボート競技の選手として出場しました。
その時の体験をもとにして描いたのが、この作品です。

オリンピック選手の青春群像といいますか、恋愛模様を描いたものなんですが、
主人公が切々とその想いを語った、なかなか爽やかな印象の作品になっています。

自分は、男女がくっついたり、離れたり、ライバルが現れてヤキモキしたり、
でも、最後にドラマチックに結ばれるというような、
アップダウンの激しい恋愛ものは、あまり好きじゃないんです。
が、この作品は、まずまずイケます。

純朴で、シャイな青年の、好意を持った女性に対する描写も細やかで、
非常に繊細かつ情感豊かに表現されています。

例えば、主人公が恋する熊本秋子に、初めて出会った時の描写ですが、

「みじんも化粧もせず、白粉のかわりに、健康がぷんぷん匂う清潔さで、あなたはぼくを惹きつけた。
(中略)
あなたは、薄紫の浴衣に、黄色い三尺をふッさりと結んでいた。
そして、「ボオトはきれいねエ」と言いながら、袖をひるがえして漕ぐ真似をした。」

そして、これが熊本秋子のモデルの相良八重という女性です(写真一番手前の笑顔の女性)。




どうでしょう。
戦前の女性とは思えぬスポーティーな雰囲気の人ですね。
なんとこの女性、身長が166センチあったそうです。
ちなみに主人公のモデルの田中英光氏は180センチだったそうです。

この作品、オリンピックが行われるロスアンジェルス渡航する直前から、
帰国するまでのオリンピック選手達の様子なども、細かく描かれており、
なかなか興味深い部分が、多々あります。

行きは賑やかで、あたかも修学旅行のような高揚感やら騒がしさやら。
到着してオリンピック本番まで、徐々に高まってゆく緊張感。
帰りの、競技が終わり燃え尽きてしまったのか、ちょっと時間をもてあましているような脱力感。

曰わく、
「往きの船が、しょっちゅう太陽を感じさせる雰囲気に包まれていたとすれば、
帰りの船はまた絶えず月光が恋しいような、感傷の旅でした」


この作品、夏目漱石「こころ」の「先生と遺書」のような、主人公の独白形式で、
ぐいぐい読ませる部分もあります。
ただ、中だるみというか、自分的には、ちょっと長いなと思う部分もありますけれども。

ただエピソードは、個々のエピソードが積み重なっているだけで、
有機的に関連しているというわけでもないので、
少々、はしょりながら読んでしまっても大丈夫かなと思います。


なお、田中英光氏については、太宰治との関わりが非常に深く、
彼自身の人生にも決定的といえるような影響を受けていますが、
それについては、「さよなら」という作品で、詳しく述べようと思います。

ただ、今回の作品でも、
主人公が出発直前にオリンピック代表のジャケットを亡くしてしまい、
ふと自殺を思い立ちますが、

「そんな簡単に、自殺をしようと考えるのには、多分、耽読した小説の悪影響もあったのでしょう」

と描写しているのは、
作者の、太宰治への精一杯のシャレみたいなものだったのかもしれません。