らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【閑話休題】ある戦争体験の話



今日8月15日は終戦記念日です。

そこで、今回は、ウィーン・モダンの記事を一旦中断して、その関連の記事をお送りしたいと思います。

 

今回紹介する話は、

自分が月に何度かボランティアに行っているデイケアサービスの方が、

利用者のご老人の方々にレクリエーションとしてお話しされたものです。

とても感銘を受けましたので、その内容を復元して記事にいたしました。

 

 

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暑い日が続きますが、皆さんお元気でいらっしゃいますでしょうか。

ここにおられる皆さんは、先の戦争において大変な苦労をされた方々なわけですが、

戦争末期の頃は、皆さま昭和一桁生まれということで、当時10代というところでしょうか。

私の母方の祖父は大正生まれですので、

皆さんよりちょっとお兄さんということになります。

私の祖父は昭和20年、四国の今治の基地におりました。

いわゆる特攻要員でして、今治で待機しながらなにがしかの訓練を受けて、

そこから鹿児島の基地に送り込まれて特攻作戦に参加するわけです。

 

ある時、ついに一緒に訓練をしていた祖父の同僚に異動命令が下りました。

異動すなわちイコール特攻出撃ということでありまして 、

それは今の感覚からすると非常に残酷な命令なわけですが、

しかしながら、その同僚は動揺することなく、

来るべき時が来たかという感じで、静かにそれを受け入れたそうです。

祖父たちにとっても、それは同じで、

それはいずれ自分達も。という気持ちがそうさせたんだと思います。

 

祖父の同僚は寡黙な人だったそうですが、

誰もいない時、祖父にポツリとこんなことをつぶやいたそうです。

 

敵のデカい空母に突っ込むなんて上手くいくかどうか・・

やっぱりおっかないよ。

軟弱と言われるかもしれないが、

目標を定めたら目をつぶって

君たちや家族の顔を思い浮かべて突っ込むよ。

それが一番怖くない。

 

いうようなことを言ったそうです。

 

ほどなくその同僚は異動し、出撃していきました。

出撃して帰って来なかったということがわかっているだけで、

敵艦に体当たりできたのか、途中で撃ち落とされてしまったのか、

そんなことはわかるはずもなく、確かめる術もなかったそうです。

 

そしてその後、私の祖父はどうなったかと言いますと、

今治で出撃命令を待っていたのですが、

8月6日瀬戸内海の対岸の広島に新型爆弾が落ちたという情報が入り、

待機を命じられたそうです。

場合によっては救援部隊として広島に急行しなければならない。

しかしながら、準備をしているうちに、

8月9日今度は長崎が新型爆弾により壊滅したとの情報が入りました。

広島行きは一旦延期となり、そうこうしてるうちに終戦となり、

祖父は無事家族の待つ故郷に帰ることが出来ました。

 

それから数年経って私の母は産まれたわけですが、

もし特攻作戦に参加していたり、広島や長崎に救援に行って放射能を浴びるようなことがあったら、

母は生まれていなかったかもしれませんし、そうすれば私もこの世には存在しなかったわけです。

ですからそれには数奇な運命の糸というものを感じざるを得ません。

 

彼らは死して私たちを生かそうとしたわけですが、

今彼らと同じことをしたら、多分あの世でぶっ飛ばされると思います。

今の私たちは生きて、他の人を生かさなければならないわけで、

それが彼らに対する最大で唯一の供養になる と感じています。

別にそんな大層なことをする必要はありません。

デイケアで、もりもりご飯を食べて、気持ちよくお風呂に入って、楽しく時を過ごし、心から生を楽しむ。

これで十分なのだと思います。

ですから皆さんもくれぐれもお体に気をつけられ無理をなさらず、元気に過ごされ、

生を楽しまれますように。

そして来年の今頃は東京オリンピックが開かれておりますから、

それをみんなで楽しく見ながら応援する。

先人の供養のためにも、ぜひともそのように過ごそうでありませんか。

 

祖父は生前なかなか自分の戦争の話はしてくれませんで、

小学生の私に唯一話してくれたのが、今日お話ししたこの話です。

本日は長々と話を聞いていただきましてありがとうございました。

 


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