らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【けっさんさん1月課題分】小説「狼の少年の物語」そしてまた春

老狼の自分自身との絶望的な闘いは夜通し続いた。
苦しそうに吐き出される息は、おりからの寒さで白く宙に舞い上がった。

少年は為す術なく、じっと老狼に寄り添うしかなかった。

やがて夜が明け、朝になった。
老狼の闘いはまだ続いていた。

少年は居ても立ってもいられず、その場から駆け出した。
そして無我夢中で、あるところに走った。
それはいつぞや老狼が教えてくれた葡萄畑だった。
少年は一房の葡萄を引きちぎるや、すぐ老狼のところへとって返した。

「もた爺、わかるか!
もた爺が教えてくれた甘い葡萄だよ。」

少年は老狼の口元に葡萄を持っていった。
熟した葡萄の甘い匂いがほのかに香った。

しかし老狼の目は半開きのままで、苦しそうに絶えず吐き出されていた息も、
次第に小さなものになっていった。

少年はこの一昼夜ろくに寝ていなかったので、
ここにきてふと緊張の糸が切れ、
その場で老狼に寄り添うようにうつ伏して、ウトウトと眠ってしまった。


少年がハッと目覚めた時、辺りはすっかり闇に包まれ、夜になっていた。

空はどんよりとした曇に覆われ、月は曇に見え隠れしていたが、
ときおり現れる月の光に照らされて見える老狼の表情は、
静かに眠っているように見えた。


しんと静まり返った、闇に覆われた冬の凍てつくような夜。

もはや口からは白い息は吐かれていなかった。

老狼はどこまでも静かだった。


しばらくすると冬の森に雪が降りはじめた。

静かに横たわる老狼と少年の上に、
ひらひらと白い花びらのような雪が、
空から舞い降りてきた。

次第に降り積もる真っ白な雪で、
老狼の体はまるで白い花に覆われたように見えた。


少年はその間ずっと、老狼と寄り添うようにうつ伏していた。

「もた爺…」

少年は静かに老狼に呼びかけた。

「もた爺…」

もう一度少年は呼びかけた。

老狼の体から発せられる優しい静けさが少年を包みこんだ。


朝になった。
夜半にかけて降った雪はすっかりやみ、
冬の弱々しい太陽の光がまっすぐ二人のいる地上にさしこんでいた。

「…さようなら、もた爺…。じゃあ…僕…行くよ。」

少年は老狼の静かな死に顔に最後のほおずりをした。


そして何度も何度も、雪に埋もれて眠る老狼の方を振り返りながら、少年は旅立っていった。

行くあてのない旅。
ただ最初に家族の群れから飛び出した時と違い、
将来に対する漠然とした怯えや恐れというものは感じなかった。

少年は誰も通った跡のない、雪が降り積もったばかりの真っ白な道を
しっかり踏みしめながら黙々と進んでいった。



しばらく歩いて、おそらく半日は歩き続けただろうか、
少年はふと自分の後ろに誰かがついて来る気配を感じた。

少年が歩みを速めれば速くなり、遅くなれば遅くなる。
一定の間隔を保って、それはついて来た。

しばらくして見晴らしのよい野原に出たので、
そこで少年は振り返った。

すると少年と同じ年頃の雌の少女の狼が、そこに立っていた。

少女は少年に見つけられ少し慌てた表情を見せたが、
にっこり微笑んで言った。

「あのね、あなた、この間、私のお父さんと闘ったでしょ。
わたし、それを見てたの。」

少年は大きな雄の狼と、にらみ合っていた時、
その背後に家族と思われる群れがその様子を見ていたのを思い出した。

おそらく少女はあの家族の群れの中に居たのであろう。

少女の話はこうだった。
父親と果敢に闘った少年を見て、
少女は自分の群れから離れて少年について行こうと決意し、
後を追いかけてきたのだと言う。

実はそういうことをきっかけに、
年頃になった狼の雌は自分が生まれ育った群れを離れ、
新しい道を踏み出すことがよくあるといわれる。

少女の決意はまさにそれだった。

「お母さんにね、あの子について行きたいって言ったら、
自分がいいと思ったんだったら行きなさい。って許してくれたの。」

少女は少しはにかみながら言った。

二人は道連れになり、話をしながら歩いた。

「あなた、名前なんていうの?」

「…もたんだよ」

「ふうん、もたんかあ。
いい名前ね。
わたし、もたんこ。よろしくね。」

少女は今までどういうことがあったとか、
あの時はどう思ったとか
一方的におしゃべりを続けた。
そのたわいない無邪気さに
少年の心は次第にほぐれ、ゆっくりと温かさを取り戻していった。
まるで春の日差しの暖かさに、固く凍った氷も
徐々に溶けてゆくように。


しばらく歩くと、前方から暖かな風がさっと二人を吹き抜けた。

「潮の匂いがする。
行ってみよう。」

しばらくすると、二人の目前に大きな海が広がった。

「わあ、海だあ。わたし初めて見た。」
少女の顔は輝いた。
それを見て少年はニコリと笑った。

春に徐々に近づこうとしている明るい太陽の光が、
寄せては返すおだやかな波に反射して
海はきらきらと金色に輝いていた。

「きれいだなあ…」

二人はしばし、その海の風景にみとれていた。

ふと少年が砂浜を見やると、あるものに気付いた。
「あそこの砂浜に何か打ち上げられてる。」

それは海の砂浜に打ち上げられた、
死んだばかりの大きなアザラシの死骸であった。
二人で腹いっぱい食べても、ありあまるほどの大きさだった。

「行ってみよう!」

二人はにっこりと顔を見合わせて、
砂浜に向かって一緒に駆け出した。


金色にきらきら輝く太陽と海の光の中に、二人は飛び込んでいった。

季節はまた春になろうとしていた。