らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「狼の少年の物語」あとがき

まず、あとがきの記事を書く理由ですが、
作品は小説の手習いとして書いておりますので、
ある種の覚え書きといいますか、
どういう意図でこのように構成したか、描写したか
ということを書き留めることを主な目的としています。
興味あるようでしたら、ぜひご覧になってください(^^)


まず「狼の少年の物語」のテーマは自然と野生動物の関わり方というところです。

テレビなどでもこのようなテーマは頻繁に取り上げられており、
その中では、自然の中で生きることの厳しさ、
そのような厳しい自然で生きるための群れの中での秩序の厳しさといったように、
とにかく「厳しさ」が強調されることが多いように思います。

確かに厳しいことは間違いないのですが、
自然は生き物に対して厳しさ一辺倒で表現するのは妥当なのか、
なぜ群れの中で厳しい掟が必要なのかということを
自分なりに掘り下げてみようと思いました。

あと、動物が主人公の物語のリアリティの問題を、この機会に考えてみようと思いました。


まず最初の自然の厳しさについてですが、
自分は宮澤賢治の自然観に非常に共感しています。

彼の自然観を一言でいうと、みんな(自然は)つながっているということだと考えています。

つまり自然が厳しいのは一面的であり、
自然は常に調和しているというイメージを出したいと思いました。

物語を春夏秋冬春の5編に分けて書いたのも、
季節ごとの自然と狼の関わり(試練を受けたり、
恩恵を受けたりということ)を描き分けられると思ったからです。

最後に狼の少年と少女の前に、あざらしが自然からの贈り物のように打ち上げられますが、
これも自然は予想外の災厄ももたらすことがあるけれども、
そういう厳しさ一辺倒ばかりではないよという象徴的意味も込めて描写しました。

コメントで、自然の厳しさだけでなく優しさを感じた
という趣旨のものをいただいて、ちょっとホッとしています。


次に、なぜ群れの中で厳しい掟が必要なのかということですが、
家父長的権威という形式的説明だけでは、
少年が掟を心から納得する理由としては、弱いと思いましたので、
自分なりに考えて結論を出して、それを実質的理由として描写しました。
将来、はぐれ一匹狼としてでなく、
しっかり群れを守る立派な狼となるための重要な場面だと思いましたので、
当初四話の予定を一話増やして五話にしました。
そうすると春夏秋冬に話が収まらなくなってしまいましたが、
最終回を「そしてまた春」と、最終回にふさわしい題名をつけることができたので、
却って良かったと思います。


そして小説のリアリティの問題ですが、
老狼が死ぬ場面で、自分も書いてるうちに二人に愛着が湧いてしまい、
ぜひお別れをさせてあげたいと思いました。
いろいろ考えまして、死ぬ間際に意識を取り戻す、
うたた寝をしている少年の夢に老狼が現れるといったものを当てはめてみました。
しかしいずれもそれまでの緊張した雰囲気に似つかわしくなく、違和感を感じました。
リアリティがないんです。
自分はどんな設定の物語でもリアリティは必要だと思っています。
例えば、眉間に銃弾が命中しながら、なおも戦うという描写を読んで、勇敢だと思うでしょうか。
読み手はリアリティがないから緊張感を維持して読むことができなくなってしまうと思うんです。
同じように、死ぬ直前に意識が戻ったり、夢を見るというのは、
いかに狼を擬人化しているとはいえ、リアリティなく感じましたので、やめました。
代わりに雪が降ってくる情景で、暗示的に二人にお別れをする場面を描写することにしました。


最後に老狼のキャラですが、
実はあれは、自分が年を取った時の理想像としてキャラクター設定したものなんです。
自分が年を取ったら、こういうように生きていきたいという願望を老狼にこめるうちに、
ああいうキャラとなりました。

もちろん、できれば自分は布団の中で死ぬつもりではいますけれどもね(^_^;)

初めての動物ものでしたが、皆さんに読んでいただいて、
本当に嬉しく感謝しております。

次回は今回と打って変わって、ファンタジーみたいなものでも書こうかなと思っています。
どうぞあまり期待しないで(^_^;)待っててください。