「川端康成へ」太宰治
先日、芥川賞の発表がありました。
今回の受賞者の田中慎弥氏はかなりユニークな方のようで、
「辞退してやってもいいくらいだが、一応もらってやる」というような発言をしたとかしないとか。
この話を聞いたら、どういう反応をしたかなと思わず想像してしまった人物がいます。
太宰治。
芥川賞が欲しくて欲しくて、ついに受賞することはなかった彼ですが、
今回の作品は芥川賞落選を受けて、選考委員の川端康成に公開抗議というような形で、
今回の受賞者の田中慎弥氏はかなりユニークな方のようで、
「辞退してやってもいいくらいだが、一応もらってやる」というような発言をしたとかしないとか。
この話を聞いたら、どういう反応をしたかなと思わず想像してしまった人物がいます。
太宰治。
芥川賞が欲しくて欲しくて、ついに受賞することはなかった彼ですが、
今回の作品は芥川賞落選を受けて、選考委員の川端康成に公開抗議というような形で、
が、結果は、太宰は次席で落選。
選考委員の川端康成は太宰について
「目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる恨みあった」
と文藝春秋にて評しました。
要は生活態度が悪く、才能が作品に反映されていないというところでしょうか。
この川端康成の評を読んで、太宰治が逆上し、書いたのがこの作品というわけです。
まず題名が「川端康成へ」という呼び捨て。
かりそめにも選考委員の作家に対してです。
題名を見ただけで、これは何事だと思わず内容を読みたくなるインパクトがあります。
文章全体を通した印象は、涙目で川端康成に一気に自己の怒りをまくし立てている感じ。
一節を抜粋すると
「私は憤怒に燃えた。幾夜も寝苦しい思いをした。小鳥を飼い、
「目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる恨みあった」
と文藝春秋にて評しました。
要は生活態度が悪く、才能が作品に反映されていないというところでしょうか。
この川端康成の評を読んで、太宰治が逆上し、書いたのがこの作品というわけです。
まず題名が「川端康成へ」という呼び捨て。
かりそめにも選考委員の作家に対してです。
題名を見ただけで、これは何事だと思わず内容を読みたくなるインパクトがあります。
文章全体を通した印象は、涙目で川端康成に一気に自己の怒りをまくし立てている感じ。
一節を抜粋すると
「私は憤怒に燃えた。幾夜も寝苦しい思いをした。小鳥を飼い、
舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか。刺す。そうも思った。大悪党だと思った」
川端康成の評からそう感じたと言っているだけなので、
これに関しては太宰治は分が悪い感じがします。
長々と綴られていたりします。
なぜ太宰治はこれほど芥川賞に執着したのでしょう。
いろいろ言われていますが、やはり一番の理由は芥川賞受賞作家という肩書きでしょうか。
それを得ることで鼻つまみ者にされている郷里青森の親類縁者に顔も立つ。
また仕事の依頼も増え、作家を生業としてゆくことができる。
あとつけ加えれば、芥川龍之介が少年時代からの憧れだったことがあるでしょうか。
なぜ太宰治はこれほど芥川賞に執着したのでしょう。
いろいろ言われていますが、やはり一番の理由は芥川賞受賞作家という肩書きでしょうか。
それを得ることで鼻つまみ者にされている郷里青森の親類縁者に顔も立つ。
また仕事の依頼も増え、作家を生業としてゆくことができる。
あとつけ加えれば、芥川龍之介が少年時代からの憧れだったことがあるでしょうか。
あれほど怒りをぶちまけた川端康成に、
自己の著書とともに次のような書簡を送っています。
「何卒私に与へて下さい。一点の駈け引きございませぬ。
(中略)私に希望を与へて下さい。私に名誉を与へて下さい。
(中略)早く、早く、私を見殺しにしないで下さい。きっとよい仕事できます」
「川端康成へ」と打って変わって、憐れみを全面に押し出した拝み倒しの手紙。
押してダメなら引いてみな的なところがありますが、
「何卒私に与へて下さい。一点の駈け引きございませぬ。
(中略)私に希望を与へて下さい。私に名誉を与へて下さい。
(中略)早く、早く、私を見殺しにしないで下さい。きっとよい仕事できます」
「川端康成へ」と打って変わって、憐れみを全面に押し出した拝み倒しの手紙。
押してダメなら引いてみな的なところがありますが、
この涙ぐましい努力も実らず、
この文章自体不特定多数の人間に読まれることを前提にしているので、
ひょっとしたら怒りをぶちまけているように装い、
川端康成にケンカを売ることで、自分の名を世間に知らしめる、
ある意味計算づくの行動なのかなと思っていました。
が、川端康成に宛てた私信や周囲に漏らしていた発言などからすると、
案外、子供が物を欲しがるような感じで、