らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「回想の太宰治」津島美知子



前回紹介した1994年(平成6年)夏に放送された
人間・失格」~たとえばぼくが死んだら
というドラマ、
実は、最初、「人間失格」という太宰治の小説の題名
そのままズバリのドラマタイトルでした。

しかし、太宰の遺族からのクレームにより
急遽タイトルが変更されたという経緯があったのです。

その時、太宰の遺族として名前を連ねていたのが
津島美知子さんでした。
ドラマ放映当時、御年82歳。
そう、山梨県甲府太宰治とお見合いし、結婚した女性で、
小説「富嶽百景」でもそのお見合いの様子が描かれていましたよね。
http://blogs.yahoo.co.jp/no1685j_s_bach/6055392.html

昭和23年6月に太宰治が入水心中をしていますので、
太宰の死から50年近い年月が流れようとしていました。

実は、自分、太宰死後、その遺族がどうなったについて知るところはなく、
このドラマに絡んだ一連の騒動で、
妻の美知子夫人がいまだ存命であったことを初めて知ったのです。

未亡人として50年もの戦後の長き間、
一旦どんな気持ちで、生きてきたのだろうと
自分なりに思いを馳せるところがありました。


戦後、ずっと沈黙を守ってきた美知子夫人でしたが、
実は、太宰の死後二十数年経った昭和53年に、
「回想の太宰治」という本を執筆しています。
それにより美知子夫人が太宰治とどう関わっていたのか、
その一端を知ることができます。

冒頭で、美知子夫人は述べます。

「私には、はじめから私の覚悟があったのです。
私は、人間太宰治と結婚したのではなくて、芸術家と結婚したのです。
彼の文学のためならば、
私はあらゆる犠牲を惜しまないつもりでした。
そしてそのためには、私は自分が女であることをも否定して生きてきました。」


美知子夫人は、太宰治と結婚するまでは、
女学校の教師で、女子寮の舎監も務めており、
当時の同僚曰わく、
「決して感情を出さず、身繕いも常にきちんとしていて、
授業も失敗のない完璧な教師」だったとのことです。
きっちりとした几帳面で真面目な人だったのでしょうね。

太宰治と無関係の内容のドラマが、
彼の代表作である「人間失格」と全く同じに題されることに対し、
太宰の文学作品を守る覚悟ということからは、
譲れない部分があったのでしょう。

また、美知子夫人が著した「回想の太宰治」は、
はしがきにて、次のように評されています。
 
「これは、凄い本に出会ったものであります。
質も量も。明晰さも、たしかさも、怖ろしさも。
科学者の随筆みたいな、美しい揺るぎのない日本語で、
太宰治は凝視され、記憶され、保存される。」


このはしがきは、美知子夫人の性格及び太宰治への接し方をよく表しているような気がします。

全てを見透かされているような感じで、
太宰治は美知子夫人を苦手にしていたという話もあります。

美知子夫人は約10年間太宰と夫婦として人生を共にしたわけですから、
そういう関係でなければ知り得ないエピソードが
この本には、ふんだんに盛り込まれています。

その中のいくつかをここで紹介しましょう。


「太宰はほんとうに無趣味な人であった。
趣味は遊びだ、逃避だ、と考えていたようだ。
身の回りに、あってもなくてもよいものを置くことが嫌いで、
必需品だけを、それも趣味よりも、
機能だけで選んだ品だけを置いて
簡素に暮らしたいらしかった。」
 
 
「来客との話は文学か、美術の世界に限られていて、
隣人と天気の挨拶を交すことも不得手なのである。
ましてこのような行商人との応酬など一番苦手で、
出会いのはじめから平静を失っている。
このとき不意討ちだったのもまずかった。
気の弱い人の常で、人に先手をとられることをきらう。
それでいつも人に先廻りばかりし
取越苦労するという損な性分である。」
 

「(蓼科まで旅行したとき)
太宰は「蛇がこわい」といって宿にこもり、酒ばかり飲んでいる。
これでは蓼科に来た甲斐がない。
この人にとって「自然」あるいは「風景」は、何なのだろう。
おのれの心象風景の中にのみ生きているのだろうか――
私は盲目の人と連れ立って旅しているような寂しさを感じた。」
 
 
そのほかにも、「駆込み訴え」の口述筆記の場面で、
蚕が糸を吐くように太宰が口述し、
淀みもなく、言い直しもしなかった話や、
「右大臣実朝」執筆の際には、
あたかも実朝が取り憑いているかのような恐ろしさを感じたなど、
非常に興味深いエピソードが、数多く記述されています。

まさに、先のはしがきの賞賛につけ加えるものは、
何もないという感じであります。

美知子夫人は、ドラマ放映の3年後の平成9年死去しました。
享年85歳。
亡骸は夫太宰治と同じ三鷹禅林寺に葬られました。


なお、この「回想の太宰治」、作者が亡くなられて日が浅いので
青空文庫には掲載されていません。
また現在絶版となっているようですが、
図書館では蔵書として保管しているところも多々あるようです。
興味のある方はお探しになられてみてはいかがでしょうか。