らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

100分de名著「銀河鉄道の夜」宮澤賢治 最終回 ほんとうの幸い

最終回のテーマは「ほんとうの幸い」。

今回はもう1人ゲストが来ていて、その人がほとんど話をしていましたが、
この人は本当に必要だったのかなあ。
せっかくのパルバースさんが、ただの置物になっていました。

ゲストが複数人いるならば、それぞれの意見を照らし合わせて、
最大限それぞれの良いところを引き出すのに努めるのが、司会者本来の仕事だと思うんです。

ところが番組の司会者は、自分の意見?茶化し?ばかりして、パルバースさんは放置しっぱなし。
思い余って、パルバースさんが
「ちょっと、いいですか」
と自ら意見をはさむ始末。

存在感ある司会者なんて誰も求めてないんだけどなあ。

求めているのは、長年いろいろな観点から「銀河鉄道の夜」及び宮澤賢治について思索してきた
パルバースさんの「考えていること」なんです。

あと今回のゲストの「本当のさいわい」にかこつけた自作の歌とか、ふんどし一丁で歌ったりする話とか…
そのあたりは必要だったのかな…(-.-;)


おことわりしておきますが、番組を批判しているわけではないんですよ(^_^;)
自分は、ある意味純粋な教養番組を求めていたのでそういう意見なわけで、
肩の力の抜けたバラエティーだと思えば楽しく見られたのかもしれません。

千歩譲ってそうだとしても、25分番組の枠内では消化不良というか、
結局今回のゲストやパルバースさんの言いたかったことが断片的になってしまって、
今ひとつぼやけてしまった残念な気がします。

断片的なまま、宮澤賢治の言いたいことを抽象的に強引にまとめようとすると、
妙に宗教臭のする?誤解を招くような、宮澤賢治って変な宗教がかったことを言う人だったんだなと
誤解してしまう危険があるんです。

宮澤賢治の言ってることは多分に特定の倫理観を主張するものではありますから、
扱いを間違えるとそうなってしまうんです。

ですからそういうことがないように、具体的に作品の表現を丁寧に紐解いたり、
賢治自身がどういうきっかけで、そのような意識をもつに至ったかを説明する必要があるんです。


ただ今回のゲストには文句を言いましたが、いいこともいくつか言っていました。

司会者が
宮澤賢治が生きていたら、今の日本に、どんなメッセージを送っていたでしょう?」
との問いに

「踊りましょう。歌いましょう。祈りましょう。」
(パルバースさんはそれに「笑いましょう」をつけ加えていました)と答えました。

それに対して司会者は
「え~っ、宮澤賢治って最も内面に突き刺さる言葉で深く洞察するイメージなんですけど、
踊りましょうというようなメッセージは非常に短絡的なイメージで…
今の日本人にそれを言うんですか?」
というように茶化し気味に反応していました。

しかしこのことはあながち、間違ったことではないと思っています。

宮澤賢治は最愛の妹トシを亡くしたのをきっかけに「銀河鉄道の夜」を書き始めました。

その時に自分に籠もって亡き人への思いを反芻しているだけでは、何も生み出さないことに気づいた。
何か外に向かって発しなければ…

そういう賢治の思いを
「踊りなさい。歌いなさい。祈りなさい。そして笑いなさい」
と表現したのなら、決して間違いではない。

深い内面の洞察と「踊りましょう」というメッセージは必ずしも矛盾するものではない。

銀河鉄道の夜」はそれをもう一歩進めて、様々な人や自然と出会い、思いを分かち合うことで、
いつまでも心の旅をしなさい。
そうすることで人は、大きなひとつの命の一部という意識の中で、
愛する人の死や来るべき自分の死への不安を乗り越えることができると言っていると感じます。

それがゲストが言わんとした「宇宙の意識」なのかなと思っています。
ゲストの説明は悪い意味で学者らしい?テクニカルな術語が多くて、
今ひとつ??な感じではありましたけれども。


長くなりましたので、番組関連のコメントはこのくらいで。


銀河鉄道の夜」の作品についての、まとまった自分自身の感想については、
銀河鉄道の夜宮澤賢治の記事として投稿いたします。