らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【けっさんさん11月課題分】「寒戻りの梅」後編

東京に帰った僕は、彼女のことが気になりながらも、
来るべき大学の試験に向けての準備に明け暮れていた。

そんな時、実家から小包が届いた。
その中にはいつも通りの食料品などの他に、遅れて届いた年賀状なども入っていた。

なにげなく一枚一枚めくって見ていたが、
僕の目は、その中の一枚に一瞬にして吸い寄せられた。

それは、彼女の両親名義で出された喪中のはがきだった。

僕は息をのんで、震える手で文面をゆっくり読んだ。

「喪中につき年末年始のご挨拶ご遠慮申し上げます

十二月に長女みゆきが十八歳にて永眠いたしました」

その瞬間の気持ちを…どう表したらいいのだろう。
自分が呼吸しているのかどうかも定かではない。
とにかく全てが停止して止まった状態。
凍りつくという言葉があるけれども、そうかもしれない。
 
とにかく全てが停止し固く閉ざされてしまった世界。
音も動きも一切考えられない真空で真っ白な世界。

そしてほどなく次に来るのは真っ暗闇の世界。
目の前が真っ暗になり、心も体も全てが真っ暗闇に閉ざされる。
真っ暗な中で、かろうじて自分が浅く浅く息を吐く音だけがする。
闇の中で、どうして?どうして?と何十回、何百回となく果てしなく自問を繰り返す。
もちろん答えなど返ってくるはずもない。
でも問い続けずにはいられない。
真っ暗闇の中をさまよいながら問い続ける、重く暗い世界。
重く暗い世界が果てしなく続く。


…どれくらい時間が経ったのだろうか。
うつ伏していた顔を上げると、外はもう真っ暗で夜になっていた。

わあっと泣いた覚えはなかったが、目の端から涙がつたった跡があった。

悲しみの涙というよりは悔しさの涙。
悔しい、悔しい…
何が悔しいのか…
与えられるべき命が彼女に与えられなかったこと、
彼女が病気で苦しんでいたのに、それに気づかないでのん気に時を過ごしていたこと、
彼女のために何もしてあげられなかったこと。
もろもろの悔しさがひとつの塊となって、僕の心に何度もぶち当たった。

しかし、ふと気づいた。

確かめなきゃ、自分で直接確かめなきゃ…

彼女の実家に電話しようとしたが、
どうしても最後の電話番号のナンバーが押せない。どうしても。

かけようとして受話器を置き、かけようとして置きということを何度も何度も繰り返した。

しかし何十回目かで、やっと電話をかけることができた。

呼び出し音がいつもより遠く長い気がする。
電話に出たのは彼女のお母さんだった。

今となっては何をどう話したかよく覚えてはいない。
しかし三月に実家に帰った時、彼女の霊前にお参りしたい旨、こころよく了承してくれた。
でもどうして彼女が亡くなったのかは、その場ではどうしても聞くことができなかった。

その日は長い長い夜だった。
食べ物や飲み物など喉を通るはずもない。
そのままベッドの布団に頭からくるまり、今までの彼女との思い出をぼんやりと思い出していた。

寝ていたような寝ていないような、彼女の夢を見たような見なかったような…
ぼんやりと夜が更け、時が過ぎていった。


大学の試験が終わった翌日、僕は早々に実家に帰省した。
そしてほどなく彼女の実家を訪れた。
家では彼女のお母さんが迎えてくれた。
初めてお会いしたが、どこが似てるというわけではないけども、
面影はどことなく彼女に似ていた。

玄関を入り、真っ先に仏間に通してくれた。


果たして彼女はそこに居た。

仏壇の横の、白い布にくるまれた桐の箱に入っている彼女。

一年ぶりの再会だった。

僕はなぜか心が静かだった。
じっといつまでも、桐の箱を見つめていた。
ひんやりと静寂な不思議な空間だった。
僕と彼女は向かい合い、お互いに黙って座っていた。
そして二人はいつまでも静かにおしゃべりをした。


我に返ったのは、隣の部屋に控えていたお母さんが心配し、
僕をお茶に呼びに来てくれた時だった。

お茶の時、お母さんが僕に話してくれた話はこうだった。

イギリス留学から帰国した彼女は、次第に体のだるさを訴えるようになった。
それが思わしくないので、11月に一旦退寮して自宅療養することにしたらしい。
それで自分が寮に出した手紙は返事が来なかったのだ。
ところが12月に入り、更に病状は悪化。
病院に入院することとなった。
入院中は小康状態を保っており、クリスマスまでには絶対退院したいと、
ベッドで楽しそうに話していたらしい。
しかしそのわずか数日後の夜、にわかに病状が急変し、
一晩苦しんで次の日の明け方息を引き取ったのだという。
年末年始はお葬式やら初七日などでごった返しており、
落ち着いたのは四十九日が終わって1ヶ月ほど経った今日この頃とのこと。

そのせいか、お母さんはひどくやつれているように見えた。
その心痛察するに有り余るものがあった。

僕はお母さんに、彼女との出会いから高校生活の思い出を話した。

お母さんは話を聞くたびに、
「知らなかった。そんなみゆきの姿、全然知らなかった。」
と感慨深げに何度もつぶやいた。

そして大学に入ってから僕に送ってくれた手紙と写真を見せた。
お母さんは娘の手紙をいとおしげに何度も読み返していた。
彼女からもらった手紙と写真はお母さんにお返しすることにした。

話がひと通り終わって、お母さんは
「みゆきがあなたのような人とおつき合いしていたの今日まで知らなかった…」

としげしげと何度も僕の顔を見た。

おいとまする際、僕はお母さんにひとつだけお願いをした。
「これを…できれば彼女のお墓に一緒に納めて欲しいんです」
その時差し出したのは、受験の時、彼女が僕にくれた学業成就のピンクの御守りだった。
時が経って少し色があせていた。
お母さんは娘の頬をなでるように、その御守りを優しくなでていたが
「わかりました。主人と相談しますけども、それはみゆきも喜ぶと思います」
と言ってくれた。

お礼を言って玄関を出ようとした時、お母さんは「ちょっと、ちょっとだけ待っててください」
と言って家の中に入っていった。
「あなた、今年成人になられるでしょう。だから…、これよかったら…」
お母さんが差し出してくれたのは、高級ワインのボトルだった。

僕はそれをいただき、何度も何度もお礼を言って、彼女の家を離れた。
途中振り返ると、お母さんはまだ僕を見送ってくれていた。
僕は遠くから何度もお辞儀をして帰路についた。



それからかなり長い月日が経った。
僕は大学生活を経て、そのまま東京で就職し、社会人となり何年も過ぎた。

長い時の流れの中で、人生での様々な出来事も流れ去り、記憶のかなたに消えゆくものもある。

しかし今でもはっきりと覚えていることもある。

春の寒の戻りの雨で、梅の花が濡れそぼっているのを見ると、
思わず駆け寄って、いつまでも傘をさしていてあげたい衝動にかられる。

あの時彼女と一緒に見た、小さくかわいらしく、冷たいみぞれ雨にも凜として咲いていた梅の花
二人で見た梅の花を僕はいつまでも忘れることはない。いつまでも。