らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「寒戻りの梅」エピローグ

拙い自作作品を読んでいただいて、皆様ありがとうございます。

この作品の最初の構想では、「僕」は彼女の死を知って嘆き悲しみ、
時が経ち、幻のように消え去ってしまった彼女を追憶するという内容にして、
1記事にまとめようと考えていました。

しかし「僕」に、好きだった彼女にきちんとお別れをさせてあげるべきだと思い直し、
彼女の家を訪ねる描写を追加しました。
そうすることで、将来関わりをもつことになったかもしれなかった彼女の母親とも対面でき、
彼女との絆が強まると思ったのです。

そしてそれは「僕」の彼女との関わりを、時の流れとともに消え去ってしまうはかないものでなく、
「僕」の優しい心の一部となって、生き続けることにも繋がるのではないかと考えました。

そのため後半部分を大幅に加筆修正して中編後編と2つの記事に分けることになりました。


なお、この作品について体験に基づいた実話なのかという質問がありました。

いつもなら、ここの部分はこれこれで、というネタばらしはむしろ自分の好むところなんです。
料理で例えれば、どこどこの材料を使って、ソースはこれこれを混ぜて…という感じなのですが、
今回に限っては、そのまま料理そのものを味わってみてくださいとだけ申し上げたく思います。

料理そのものを味わいながら、いろいろ想像していただければ…と。


なお、自分がこの作品で一番好きなシーンは、彼女の実家で彼女との再会シーンなんです。
この場面は、ここだけ切り離して一つの作品にしてもいいような感じに、
思い入れをもって詩のように描写しました。


また、この作品は1990年代前半を舞台にしていますが、
1990年代前半と現在とでは決定的な違いがあります。

それはパソコンと携帯電話の存在です。

1990年代前半は家から毎日長電話しようものなら、月に電話代5万円とかになってしまう時代でした。
電話は家の電話だけでしたので、高校生の男の子が女の子の家に電話するなど、
よほどの大義名分がなければすることができなかったと記憶しています。

もしパソコンと携帯電話が存在していれば、
「僕」は、いついかなる時でも彼女と連絡を取ることができ、
いつでも彼女に様子やら意思やらを確認することができました。

また彼女のお見舞いなどにも行けて、病院で励ますことなどもできたかもしれません。

つまり思いを心にためてじっとしていることなしに、
その気になればすぐに確かめることができるのが現在なのです。

現在が舞台だと、今回のストーリーは、かなりの部分成り立たなくなってしまいそうです。

しかし自分はパソコン&携帯以前の前世紀に10代だった人間ですから、
そういうものを駆使して、様々なものをすぐ確かめることができる恋愛話を、
想像し構成することはできませんでした。

そういった意味では、この作品は現在よりも明治時代の作品の方に近いかもしれません。

今10代の人が、この作品を見たら、やたら、まどろっこしく感じてしまうかもしれませんね。

でも、どちらがいいかということは一概にはいえないと思います。

パソコン&携帯電話の出現により、解消した悩みもあれば、新たに生じた悩みもあるでしょうから。
それぞれにそれぞれのドラマがあるでしょう。


なお、この自作小説のジャンルでは、作品ではああだったけど、
私ならこう書くというような議論大歓迎です。
とにかく皆さんと楽しくおしゃべりできるきっかけになれば…と思っています。


最後にこのような作品を創作するきっかけを与えてくださった、けっさんさんに深く感謝いたします。