「風の又三郎」宮澤賢治
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
「風の又三郎」冒頭の風の歌。
青空で風が強く鳴っている二百十日の9月1日、
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
「風の又三郎」冒頭の風の歌。
青空で風が強く鳴っている二百十日の9月1日、
全学年で教室がひとつだけの岩手の田舎の小学校に一人の少年が転校してきた。
赤い髪をし、白い半ズボンに赤い靴を履いた
赤い髪をし、白い半ズボンに赤い靴を履いた
頬がまるで熟したりんごのようで目はまん丸で真っ黒な少年。
その異形の少年を見た、ちっちゃな一年生は泣き出してしまう。
昔ながらの着物にわら草履の田舎の子供達は
その異形の少年を見た、ちっちゃな一年生は泣き出してしまう。
昔ながらの着物にわら草履の田舎の子供達は
「風の又三郎」がやってきたと大騒ぎになる。
彼らにとって「風の又三郎」とは
彼らにとって「風の又三郎」とは
人間と妖精とお化けの合いの子のような存在なのだろうか。
東北地方では広く「風の三郎」民俗的伝承があったらしい。
しかしこの少年、作中の学校の先生や大人達からすると、
東北地方では広く「風の三郎」民俗的伝承があったらしい。
しかしこの少年、作中の学校の先生や大人達からすると、
ただの人間の男の子にしかみえない。
高田三郎の名前をもち、北海道から鉱山技師の父親とともに引っ越してきた。
しかし子供の感性からは、風とともに現れ、風とともに消える、まさに伝説の風の又三郎そのものに映っているようだ。
高田三郎の名前をもち、北海道から鉱山技師の父親とともに引っ越してきた。
しかし子供の感性からは、風とともに現れ、風とともに消える、まさに伝説の風の又三郎そのものに映っているようだ。
大人からみると、たまたま風の強い時期に転校してきた普通の子供じゃないかと言う人もいるだろう。
しかし大人には決して見ることができない子供だけの不思議な世界。
ふわふわした夢のような部分を削ぎ落とし、現実社会で生きる大人には、
決して感じることができない世界。
子供達は最初は警戒しているが、すぐに打ち解けて仲良くなり一緒に遊ぶようになる。
三郎がキテレツな事をする度に、
子供達は最初は警戒しているが、すぐに打ち解けて仲良くなり一緒に遊ぶようになる。
三郎がキテレツな事をする度に、
風がどどうどと吹き、その都度子供達は三郎が又三郎であることを感じる。
大人からみると、都会的な頭のいい上品な、
大人からみると、都会的な頭のいい上品な、
普通の人間の男の子。
田舎の子供達にとっては、外の世界からやって来た、
田舎の子供達にとっては、外の世界からやって来た、
自分達とは異なるものに触れる刺激・興奮といったものとも結実して
、風の又三郎の形として現れているのかもしれない。
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
風が強く吹き荒れる9月12日の月曜日の朝、
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
風が強く吹き荒れる9月12日の月曜日の朝、
何かの気配を感じた村の子供はいつもより早く急いで学校に行く。
そこで三郎が昨日の二百二十日に当たる日曜日に、
そこで三郎が昨日の二百二十日に当たる日曜日に、
北海道に再び転校していったことを先生から告げられる。
風のように舞い降りて、さよならも言わずに、風のように去っていった風の又三郎。
子供達の心の中には強い風の音とともに、
風のように舞い降りて、さよならも言わずに、風のように去っていった風の又三郎。
子供達の心の中には強い風の音とともに、
三郎との思い出が風の又三郎の記憶として胸に刻まれた。
これを読んで子供達と同様、又三郎の不思議な感覚が残った方は、
これを読んで子供達と同様、又三郎の不思議な感覚が残った方は、
子供だけが持っていて、大人が無くしてしまったものを、
心の中にまだ持っているのかもしれません。