らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【旅】福島二本松の旅

 
 
先日本当に久しぶりに会社の出張に行って参りました。

場所は福島県二本松市
県庁所在地の福島市のやや南に位置し、
高村光太郎の妻智恵子の生家、安達太良山、安達ヶ原の山姥伝説、名城と名高い二本松城など
史跡名所がいろいろとある福島中通り地方の一都市です。


JR二本松駅




駅のロータリーには高村光太郎智恵子抄」の詩の一節を刻んだプレートが。


「阿多多羅山の山の上に毎日出ている青い空が、智恵子のほんとうの空だといふ」


あいにくこの日は梅雨真っ只中で、
雨こそ降っていませんでしたが、
どんよりと黒い雲が低く垂れこめ、
智恵子が愛した青い空を見ることはできませんでした。

しかし、濃い緑の山々の開けたところに町並みが広がる、
田んぼを吹き抜ける風がとても爽やかな、
静かで落ち着いた雰囲気の町でした。

本当はいろいろ見て回りたかったんですが、
今回は日帰り出張で時間もなかったため、
一カ所だけ大隣寺にある二本松少年隊の墓を訪れることに。

幕末の戊辰戦争において、
二本松藩の武士達はそのほとんどが今の福島県南端の白河に出陣しており、
二本松には留守居の僅かな武士と老人女子供しか残っていませんでした。
そこに間隙をついて薩長などの西軍が侵入。
その攻撃から二本松を守るために結成されたのが、
10歳から15歳くらいの少年達による二本松少年隊です。
今でいえば三十歳そこそこの若い教師に引率された中学生達というところでしょうか。
詳細はこちらのHPでご覧ください。
http://www.nihonmatsu-kanko.jp/syonentai.html

同じような会津の白虎隊は非常に有名ですが、
二本松少年隊は長らく歴史に埋もれ、知る人ぞ知る存在でした。
しかし、先年の大河ドラマ「八重の桜」で知った方も多いのではないでしょうか。



その戦死した少年ら16人の墓がある大隣寺



寺の入口にこのような石碑が。


少年達を引率していた33歳の副隊長と13歳(数え年)の少年隊士がこの場所で戦死。
今は静かなたたずまいを見せるこの場所も、昔は銃弾飛び交う戦場だったのです。

石段を上がりきった境内の左手、
山すその辺りに二本松少年隊の墓はあります。
ちょこんとかわいらしい墓石が仲良く並んでいます。




みんな今の中学生くらいの少年達。

墓所には他に人はおらず、ずっと自分独りでした。
時折、鳥のさえずる声がするだけで、
不思議な静寂に包まれていました。静謐というべきでしょうか。

以前長州の若者たちは未来に殉じ、会津の若者たちは過去に殉じたと言ったことがあります。
しかし二本松の少年達は家族や兄弟、自分たちを育んでくれた郷土といった
もっと身近なもののために戦いに臨んだような気がします。

その素朴な思いが、今も留まって佇んでいるかのような
静かで穏やかな落ち着いた空気感。


今でこそ子どもは慈しみ保護すべき存在というように言われますが、
実はそれは大正時代頃から始まった考え方で、
当時は子どもといえども社会の一部を構成する立派な構成員と位置付けられていました。
ですから二本松の少年達も望まれて勇んで戦いに赴いたことでしょう。

とはいうものの、まだ年端の行かぬ少年達。
出陣前日の宿営した寺での様子は、
今でいう修学旅行の夜のようなにぎやかさであったといいます。

純粋に彼らが守ろうとした大切なものを、
それを受け継いだ我々はきちんと守っていかねばなりません。

ほんの1時間たらずの滞在でしたが、非常に感じ入った旅になりました。

二本松少年隊の個々のエピソードについては、
先に述べたHPに紹介してありますので
興味ある方はぜひご覧になってみてください。