らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【閑話休題】一冊だけ携帯できるとしたら

自分が視聴している「日めくり万葉集」には月ごとにテキストが発売されており、そこには各回紹介する和歌及び選者の解説・感想の他に「万葉を探す旅」「万葉という時代」というような連載記事が掲載されている。
その中に番組のナレーションをつとめる檀ふみさんの連載エッセイ「万葉ほどろほどろ」も掲載されており、9月号の分に興味深い内容が書かれていたので紹介しようと思う。

絶海の孤島にたった一冊だけ本を携えることが許されたら何を持って行くか?

欧米人のほとんどは聖書ということだそうだが、太平洋戦争中日本軍の兵士が選んだもので一番多かったのは実は万葉集だったとのこと。
ドナルド・キーン氏は戦争中日本人捕虜や兵士の所持していた書籍類を調べる仕事をしていて、万葉集の多さに驚き、その体験は氏が日本文学に心惹かれる端緒となったらしい。

それについて檀ふみさんは
「二度と帰れないかもしれない故国への痛いほどの思いを、日本最古の歌集を紐解くことで慰めようとしていたのだろうか。昔の日本男児は泣けてくるほど純粋で教養が豊かだったではないか」と述べている。

そっかそっか、檀さんはそういう風に感じたか。

和歌というのは詠み手の思いを三十一文字に綴じ込めた、人間の心が入ったカプセルみたいなものだと自分は思っている。そしてそれは読んだ者誰にでも開くという類のものではなく、和歌を読んで心が共鳴した人にのみそのカプセルが開いて歌を詠み手が綴じ込めておいた心の世界が広がるというのが、自分の和歌の鑑賞の漠然としたイメージとなっている。

万葉集は貴族に限らずその大半は庶民の日常の愛しさや悲しさ、切なさ、苦しさ、つらさといった心情が飾らない素朴な言葉で詠まれ綴じ込まれた歌集であるから、万葉集を読んだ外地の兵士達は万葉時代の人々が詠んだ歌のそれぞれに心が共鳴し、詠み手と心情を同じくしたことと思う。

それはある意味言霊が込められたものとして写真集のようなものよりも、さらに深く祖国の土地、四季、自然、家族といったものに思い馳せることができたように思う。

外地の日本軍兵士が携えたのが古今集でも新古今集でもなく万葉集だったのはそういう理由ではなかったかと個人的には思う。

ただエッセイの中でもうひとつ万葉集を好んで携えた面白い理由があって、それはちょっとした裏技のようなもので、当時は軍事郵便で検閲が厳しく、色恋の如き内容は送りづらかったので、自分の思いは万葉集の何番ですというように暗号化?して想い人に書き送ったとのこと。

万葉集には会うことができない相手を思い慕う歌もたくさん詠まれているから、なるほどこれは上手い方法だったのかも。
しかしそれとて千年前の万葉時代の人と思いを一(いつ)していなければ上手くいかないものなので、千年の間、脈々と思いを受け継いできた人々の営みに頭(こうべ)を垂れざるを得ない。

少し蛇足になるが自分が一冊だけ孤島に携帯できるとしたら、これまでは平家物語などいいかなと思っていた。様々な個性をもった大勢のキャラが活躍するのでそれなりに長編であるし、長い間飽きずに読めると思う。
同じ趣旨なら中国であれば十八史略史記、西洋なら聖書とかプルタルコス英雄伝とか…
同じ長編なら源氏物語などどうだと言われそうだが、イケメンが数多くの女性にモテるという話は孤島では精神衛生上よろしくなさそう(^_^;)

でも一冊に絞るのは非常に難しい。
そういった意味では万葉集というのは非常に素晴らしい選択かもしれない。
万葉集を繰り返し熟読して自分自身和歌を詠むこともできるから可能性は無限に広がる余地があるし。

自分の意見はこんなところですが、皆さんはどんな本を携帯したいと思われるでしょうか(^^)