らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「富嶽百景」太宰治



太宰治が心中未遂やら離婚で心身共にぼろぼろになり、
機一転のため甲州に滞在し、数ヶ月間富士と向かい合って時を過ごすことになる。

基本的に作者は富士が嫌いらしい。
冒頭、実際の富士の姿を鈍角でのろくさで、
決して浮世絵に描かれているようなすらと高い山ではないと軽蔑し、
滞在先の御坂峠の天下茶屋の富士を風呂屋のペンキ画とこき下ろしている。
きわめつけは「(路端に咲くけなげな)月見草には(俗物の)富士がよく似合う」
という一見富士を誉めているようで、実は月見草の引き立てにしている台詞。

それら富士に対する否定的な見方は、
太宰が東京にいた時の苦しい日常が思い出されることが大きかったからのようだ。
肩が傾いて船尾からだんだん沈没しかけてゆく軍艦の姿に似た
富士の頂上だけがちょこんと見える東京の住まいで、
何度も苦しくて泣いたというようなことが書かれている。
その心細げな富士の姿は東京にいた頃の太宰の姿そのものだったのだろう。

そんな太宰も長い間富士と面と向かって時を過ごすうちに、
富士の美しさ素晴らしさを認めざるを得ない体験を数多くすることになる。

甲府でしたお見合いにて、太宰はなぜか相手の女性の顔を正視することができなかったが、
客間に飾ってある富士山の写真を振り返るふりをして、
お見合い相手の顔をじっと見ることができ、結婚を決意したくだり。
「あのときの富士はありがたかった」。

太宰を慕う青年達と楽しい時を過ごした時に富士を見たくだり。
「富士が、したたるやうに青いのだ。燐が燃えてゐるやうな感じだつた」
「富士に、化かされたのである。私は、あの夜、阿呆であつた。完全に、無意志であつた。
あの夜のことを、いま思ひ出しても、へんに、だるい」
青年達と交流した嬉しさ高揚感が富士をそのように見せたのか。
富士に化かされたとは彼一流の照れ隠しかもしれない。

富士に雪が降ったくだり。
山頂が、まつしろに光りかがやいてゐた。御坂の富士も、ばかにできないぞと思つた。
「いいね。」
とほめてやると、娘さんは得意さうに、
「すばらしいでせう?」といい言葉使つて、「御坂の富士は、これでも、だめ?」としやがんで言つた。

茶屋の娘さんの言葉はことさら富士の美しさを否定してきた太宰への、
富士を愛する人々からの問いかけでもあるような気がする。

そして富士に抱かれ様々な人々とのふれあいにより心の傷が癒えた太宰は、
逗留先の茶屋を引き払い東京に帰り人生の再出発をする決意をする。

最後、帰り際に、東京から来たであろう華やかな女性二人組に頼まれた、
富士をバックに記念写真。
太宰はいたずら心にポーズをとる女性を被写体から外し、
富士山だけを大写しにした写真を撮る。

それまでの太宰であれば、俗な富士山を被写体から外し、女性だけを大写しにした写真を撮ったかもしれない。
この写真は女性にはお気の毒ではあるけども、
傷心の太宰が富士に心を癒やされ再出発することができたことへの、
ひねくれ者らしい太宰なりの感謝の意の表れであるのだろうと思った。

このように全編通じ、太宰の心の変化により様々な表情を見せた富士の姿を称して、
小説の題名を「富嶽百景」とつけたのだろう。

この作品は多分に主観的に様々な富士の姿が描写されており、
富士を愛する人にとってはとても面白い作品になっている。

太宰の心情の変化に応じ富士の姿が変容していく描写は、
確かに作家太宰治の力量を認めざるを得
上手いと思う。

なお画像は太宰が滞在した御坂峠から見える富士です。