らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「一歩前進二歩退却」太宰治









一日一歩 三日で三歩
三歩進んで 二歩さがる♪

昭和の歌謡曲にこのような歌詞がありますが、
これは人生後ろに下がることもあるけれども、
地道に一歩ずつ歩んで前向きに生きて行こうという意味合いのものです。

これに対して、太宰治の作品の題名は、
一歩ずつ地道に下がり続けてしまっているじゃないか。
と、思わずツッコミを入れたくなる、
一体この作品には何が書いてあるんだという思いにさせる
彼らしいフレーズであると言えます。

ここで何が書いてあるかと言いますと、
ひと言でいえば、読者への愚痴です。

曰く、
「作品の面白さよりも、その作家の態度が、まず気がかりになる。
その作家の人間を、弱さを、嗅かぎつけなければ承知できない。
作品を、作家から離れた署名なしの一個の生き物として独立させては呉くれない。」

「この鑑賞の仕方は、頭のよさであり、鋭さである。
眼力、紙背を貫くというのだから、たいへんである。いい気なものである。」

と、読者を持ち上げると思いきや、こき下ろしています笑

さらに
「作家は、いよいよ窮屈である。
何せ、眼光紙背に徹する読者ばかりを相手にしているのだから、うっかりできない。
あんまり緊張して、ついには机のまえに端座したまま、
そのまま、沈黙は金という格言を底知れず肯定している、
そんなあわれな作家さえ出て来ぬともかぎらない。」

小説家は文章を書いてメッセージを発するのが仕事なのに、
座右の銘が沈黙は金というのは笑えます(^_^;)

「謙譲を、作家にのみ要求し、作家は大いに恐縮し、卑屈なほどへりくだって、
そうして読者は旦那である。作家の私生活、底の底まで剥はごうとする。
失敬である。
謙譲は、読者にこそ之これを要求したい。」

これは「桜桃」という作品の「子供より親の方が大事と思いたい。」
というフレーズと同種の、太宰さんらしい名(迷?)言であると思います。


しかし、太宰さんに物言いを言うならば、
失踪事件やら心中未遂事件を起こして、その直後に著作を発表するスタイル、
世間はそういうゴシップに興味津々ですから、
作品に、何か事件について書いてあるかもしれないと手に取ってみる。
そのようにして自分の作品読ませることを繰り返してきた人が、
私生活を邪推しながらではなく、純粋に作品そのものを読んで欲しいというのは、
わからないではないですが、少々虫がいいというか、
かまってくれと言っておきながら、ほっといてくれと言うような感があり、
読者にそんなに怒りをぶつけていいものだろうかとも思います。


太宰治は、青森の大地主の家に生まれ、11人兄弟の10番目。
父は衆議院議員貴族院議員を歴任する地元の名士で不在、
母は病弱で、太宰の身の回りの世話は乳母、叔母、女中と次々と変わり、
親の愛に恵まれない多感な少年時代を過ごしました。

甘えたいのに甘えられない、頼りたいのに頼り切れない。そういう孤独感。
それを裏から言えば、かまって感とでもいいますか、
それは日々悶々と蓄積されていったのでしょう。

しかし、それは同時に、後に彼が小説家となるために稀有となる才能も育みました。

どうすれば人が振り向いてくれるだろうか、
どうすれば注目を集めることができるか。
そして、そのような、孤独でかまって感に満ちた少年時代に育まれた観察力。

誰が自分に興味を持ってくれるだろうか、
人はどういう事に興味をもって心動かされるのだろうか。
それは、青年期、芥川龍之介の文学との出会いとによって、
文学を創作する能力に結実します。


太宰治が嫌いな人は、作品の中に、彼の独りよがりな孤独感、かまって感を
撒き散らしていると感じてしまうのかもしれません。

確かに彼の作品は、そういう独特の匂いみたいなものを感じ取ることができます。

しかし、自分は、太宰の作品も二つに分けられると思います。

まず彼の実際の女性交際やら心中未遂やらの体験をベースにした作品。
端々にキラリと光る表現があるものも、
全体的に重いトーンで 胸につかえる感を否めません。
これらの作品の彼は外を向いている。
自身の苦しさを外に吐き出し、他人の目を伺い、常にそれを気にしている。

しかしながら一方で、自己の内面を見つめ、
それを作品に昇華した作品もあります。
全部の太宰作品を読んだわけではありませんが、
自分が読んだ中では、
富嶽百景」「黄金風景」「人間失格」など。

富嶽百景」では、富士をモチーフに、出会った人々の素朴なさりげない親切により、
主人公が救われ、もう一度人生をやり直してみようと決意するまでを描いています。

「黄金風景」は負の連鎖、負のスパイラルにより、
他人を疑うことをやめなかった人間が、どうして救われたのかという出来事を描いたものです。

そして「人間失格」は、やはり太宰治の最大の傑作だと思います。
人間はどうして弱くはあってはならないかという、
全ての人間に内在する業ともいえる大きなテーマを書き切っています。
個人的には、太宰個人の名作としてだけでなく、
日本文学史の頂点に位置する名作だと思っています。


しかしながら、今回の作品の題名、
「一歩前進二歩後退」なら、まだ後ろに下がりながらも、
前を向いて進んで行こうとする前向きなニュアンスがありますが、
「一歩前進二歩退却」だと、完全に困難に背を向けて逃げ出してしまっているイメージがあり、
ある意味、その姿はとても太宰さんらしいと感じます(^_^;)

この作品が発表されたのは昭和13年夏。
相次ぐ芥川賞の落選、薬物中毒、可愛がっていた舎弟と自分の内縁の妻との不倫、心中未遂、離婚。
まさにどん底の時期。
その秋に、彼は石原美知子と見合いし、翌年結婚。
その後、「女生徒」「富嶽百景」「走れメロス」などの優れた作品を生み出すことになるのですが・・

今回の作品を書いた時は、夜明け前が一番暗い、
まさにそういう時期のものだったのかもしれません。








気取って悪いことを考えている?(笑)高校生の頃の太宰さんです。




青空文庫 太宰治「一歩前進二歩退却」