【絵画】「バラの中の死したヴァランティーヌ・ゴデ=ダレル」後編 ホドラー
画家フェルディナント・ホドラーの、
生涯最も愛した女性ヴァランティーヌ・ゴデ=ダレルは、
長く苦しい闘病の末に亡くなりました。
ホドラーは、彼女が亡くなった翌日、
彼女をモデルにした最後の作品を描き上げました。
ホドラーは自己の作品において、
しきりに「オイリュトミー」(良いリズム) ということを述べていますが、
この作品の「時」は完全に停止しているように感じます。
死したる人の存在する空間というのは、
おごそかな「時」の静寂がまわりを支配しているのです。
長い闘病の果て、白い肌のふくよかでかわいらしかった彼女は、
ひからびた色の、骨ばかりの姿に変わり果てました。
しかし、全てはもう終わってしまったこと。
彼女は完全な静寂の中で、今、静かに眠っています。
その静かに眠る彼女を覆い包むように、絵のまわり一面に塗られた
ピンクともオレンジとも茜色ともつかぬ淡い暖かな色彩。
この作品の「時」は完全に停止しているように感じます。
死したる人の存在する空間というのは、
おごそかな「時」の静寂がまわりを支配しているのです。
長い闘病の果て、白い肌のふくよかでかわいらしかった彼女は、
ひからびた色の、骨ばかりの姿に変わり果てました。
しかし、全てはもう終わってしまったこと。
彼女は完全な静寂の中で、今、静かに眠っています。
その静かに眠る彼女を覆い包むように、絵のまわり一面に塗られた
ピンクともオレンジとも茜色ともつかぬ淡い暖かな色彩。
http://blogs.yahoo.co.jp/no1685j_s_bach/13408370.html
では、ホドラーの、この、亡き最愛の女性をくるむ暖かな色はどこからきたものなのでしょうか。
自分は、この色は、ホドラーが愛した、故郷スイスの、雪をかぶった山々に、
暖かな日の光が照り返って映った色なのではないかと感じています。
スイスアルプスの山々は標高が高く、
ほとんどの季節を冷たい白い雪に覆われています。
しかし、その寒々とした雪に覆われた山肌にも、
特に春先などには、一瞬暖かな光が包むときがあります。
雪山をご覧になったことのある方はご存じかもしれませんが、
真っ赤な夕焼けなどに照り返った雪山は一瞬のひととき、
では、ホドラーの、この、亡き最愛の女性をくるむ暖かな色はどこからきたものなのでしょうか。
自分は、この色は、ホドラーが愛した、故郷スイスの、雪をかぶった山々に、
暖かな日の光が照り返って映った色なのではないかと感じています。
スイスアルプスの山々は標高が高く、
ほとんどの季節を冷たい白い雪に覆われています。
しかし、その寒々とした雪に覆われた山肌にも、
特に春先などには、一瞬暖かな光が包むときがあります。
雪山をご覧になったことのある方はご存じかもしれませんが、
真っ赤な夕焼けなどに照り返った雪山は一瞬のひととき、
不思議な、しっとりと安らぎのある温かな色に包まれることがあるのです。
自分は、ホドラーが、亡くなった最愛の女性を、アルプスの万年雪をも溶かすような、
自分は、ホドラーが、亡くなった最愛の女性を、アルプスの万年雪をも溶かすような、
美しい暖かな色にくるんで弔ったのではないか。
ふと、そんなことを感じたりしました。
そんな山の色なんて見たことないよ。という方のために。
自分の勤務するオフィスのビルから、丹沢山系および富士山が見えるのですが、
春先の夕焼けなど実に美しく神秘的な色を見せることがあります。
しかし、一瞬のひとときですから、なかなかその姿をとらえるのは難しく、
かろうじてその端々のようなものが撮れたのが、これです。
ふと、そんなことを感じたりしました。
そんな山の色なんて見たことないよ。という方のために。
自分の勤務するオフィスのビルから、丹沢山系および富士山が見えるのですが、
春先の夕焼けなど実に美しく神秘的な色を見せることがあります。
しかし、一瞬のひとときですから、なかなかその姿をとらえるのは難しく、
かろうじてその端々のようなものが撮れたのが、これです。
いかがでしょうか。
本当はもっと色が広がっているものをお見せしたかったのですが、
その雰囲気だけでも、また、ホドラーが感じたであろうものを察していただければ幸いです。
そして、実は、今回紹介した絵は今、日本に来ています。
もし、一目見てみたいという方は、ぜひとも会いに行ってみてください。
この「バラの中の死したヴァランティーヌ・ゴデ=ダレル」 1枚を観るだけでも、
この展覧会は見に行く価値があります。