らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「烏(からす)の北斗七星」佐々木八郎さんの手記 宮澤賢治




きけ わだつみのこえ」にその手記を収録されている佐々木八郎さんは、
東京大学経済学部の学生で昭和18年暮れ出征されました。

佐々木さんは「愛と戦と死」と題して、宮澤賢治の「烏の北斗七星」について感想を書いておられます。

佐々木さん曰わく、
宮澤賢治は最も敬愛し、思慕する詩人の一人であり、
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
という言葉に集約される賢治の理想、正しく、清く、健やかなものが、
佐々木さん自身の理想にぴったり合うとおっしゃっています。

そして「烏の北斗七星」の中に描かれた戦争観が、
佐々木さんの気持ちを現しているような気がしたので、この文章を書いたとのことです。

ちなみに佐々木さんは鴉(からす)とあだ名されていたことがあり、
また海軍航空隊に志願していたことから、この作品に非常な愛着をもっておられたようです。

佐々木さんが、この作品で、最も心を打たれるのは、
烏の大尉の台詞に表れる最も美しいヒューマニスティックな考え方であるとし、
ここには本当の意味での人間としての勇敢さ、強さがはっきりと現れていると言われます。

もう佐々木さんが大学に入られた頃は、
対米戦争に深く入り込んで戦争回避の道は取りようがなかったのでしょう。
とすれば残る道は戦争において自分はどういう行動を取るべきか。
信条的には憎みたくない敵と戦いたくはないけれども、
来るところまで来てしまった以上互いに全力を尽くし、
自分もそれに参加して力を尽くすしか術はない。
お互い全力を尽くしたところで、
ひょっとしたら世界の進歩につながるような何かきっかけみたいなものが、
見いだせるかもしれないと、一途の望みを託していらっしゃるのが、とてもせつなく感じます。

そして佐々木さんはおっしゃいます。
人間は世界が良くなるために一つの石を積み重ねてきたが、
自分もなるべく大きく据わりのいい石を先人の積んだ塔の上に重ねたい。
不安定な石を置いて、後から積んだ人の石までもろともに倒す石でありたくないと。

佐々木さんは一朝一夕に世界が変わり得ないことをよくご存知だったんでしょう。
一世代が石をひとつずつ置くように、自分も石を置く者として先人の遺したものを壊すことなく、
また後輩が石を置きやすいように受け継いだものをしっかりと受け渡していきたい。
という心情が胸にしみ入ります。

佐々木さんの手記は最後の最後まで自分は何何をしたかった、
何何ができなかったことが心残りだ。といった自分自身の望みめいたことが一切出てきません。
それは、物語の中で
「どうか憎むことのできない敵を殺さないでいいやうに早くこの世界がなりますやうに、
そのためならば、わたくしのからだなどは、何べん引き裂かれてもかまひません。」
と烏の大尉が北斗七星に祈った姿と重なります。


佐々木さんは昭和20年4月14日特攻出撃して沖縄海上にて亡くなられました。
享年23歳。

烏の大尉のように、仲間全員で戦いを生き延び、嬉しくてみんなで熱い涙をぼろぼろこぼしあうようなことは遂にありませんでした。

生きていらっしゃれば今年で89歳になられたはずです。
夜独り手記を読んでいると、
66年の時を超えて亡くなられた二十歳そこそこの佐々木さんと宮澤賢治の作品について
静かに対話をしているようななんとも不思議な気持ちになります。

このように自己の置かれた運命に悩み、決意し、人類の未来を信じて、
一途の望みを託して戦場で亡くなった青年がいたことを、
ぜひ頭の片隅に入れておいていただければと切に願ってやみません。
 

宮沢賢治「烏の北斗七星」