らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「猿蟹合戦」芥川龍之介





蟹一党の敵討ちにより猿は討ち取られました。 
通常、猿蟹合戦の昔話はここでめでたしめでたしという形で終わっています。

しかし、その後、蟹一党がどのような人(蟹)生を送ったのか、
あの芥川龍之介がそれを作品にしています。
なんともシニカルで、彼特有の洞察力の鋭い作品なのですが、 
それによると蟹一党は官憲に捕縛され裁判にかけられ、
その結果主犯の蟹は死刑、その他の一党は無期懲役という判決を下されます。
徒党を組んで1匹の猿をなぶり殺しにしたことが、
社会的に極めて重く処罰されるべき反社会的行為と認定されたのです。

また、社会も彼らの味方ではありませんでした。
マスコミや宗教家、学識者、社会主義者らが、
理由は違えど、総じて蟹一党の所業を非難します。
そして蟹の死刑執行後、その家族は一家離散の憂き目に。

なぜこのようなことが起こってしまったのでしょう。
蟹はそれほど悪いことをしたのでしょうか。
親の敵討ちというのは、ある意味素朴な人間の心から発生するものです。
その自然な感情の発露といえるものが何故いけないのか。

それは近代の社会国家規範のシステムの恐ろしさとでもいいましょうか。
自由を享受しているように見える社会でも、社会国家規範に反したと見なされるや、
たちまちのうちに蟹のような境遇に身を置かざるを得ない、
一定の社会国家規範の枠の中に生きる居心地の悪さ、恐ろしさ。
社会の平穏、秩序維持の名の下に一定の枠から外れたものは、
徹底的に非難され、処罰されてしまう、ある種の窮屈さ。

君たちもたいていは蟹なんですよ。というこの作品最後の一文は、
今度蟹になるのはあなたかもしれないというホラー映画の謳い文句のような、
コミカルな物言いではありますが、
実はおぞましい警告を発したものとも感じます。
それまでわりかしコミカルなテンポで進んできた物語が、
最後の一言で、他人事だと思っていた読者に、
あなたも同じなんですよと、いきなり突き付け、
それまでの印象をガラリと一変させてしまう。
さすがです。

当時は普通選挙法が制定され、大正デモクラシーの真っ只中の自由を謳歌した時代ではありましたが、
同時に治安維持法などが制定され、
芥川はその危険な匂いを敏感に感じ取ったものとも言われています。

それでは現代は、それらが全て払拭され、過去のものにすぎないと言えるのでしょうか。

それは決してその特定の時代的なものではなく、
近代のシステムの下での国家及び社会において、常にそういうことは起こり得る。
芥川龍之介はそのように洞察していたのではないかと自分は感じます。









「猿蟹合戦」芥川龍之介