らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【万葉集2011】5 難波人葦火焚く屋の

今回自分が一番感じ入った歌は



難波人(なにはひと)
葦火(あしび)焚く屋の
すしてあれど
己(おの)が妻こそ
常(とこ)めづらしき



詠み人知らず



難波人が
葦火を焚く家のように
煤けてはいるが
我が妻は
いつもかわいらしい




現在の大阪中心部は当時葦の生い茂る大湿原で、
庶民は葦を乾かして燃料としていたそうです。
葦を燃やすと煙がよく出るため、家の中は煤(すす)だらけだったとのこと。

この歌は夫が妻への愛情慈しみといったものを詠んだものですが、
日々の暮らしの当然の汚れがあって、それが積み重なって見た目は煤けてしまっているけれども、
生活している間に愛情が深まっていき煤けた妻の顔もかわいいと思う。

地味で単調で楽しいことばかりではないかもしれないけど、
毎日を共にして愛情が深く穏やかになっていく様子が読み取れてとても好きな歌です。

妻への愛の歌なら、もっと派手できらびやかで美しい表現はいくらでもあると思うんです。
しかしあえて「難波人 葦火焚く屋の」と一見冴えない比喩を用いることで、
長い間生活を共にして穏やかに育んできた夫婦の愛情を感じます。
生活を一緒に共にしてきたリアリティがあるんです。

ちなみにこの歌も詠み人知らずです。
一体どんな夫婦だったんでしょうか。
夫婦ともに名は忘れ去られ残ってませんが、
夫の妻に対する穏やかな慈しみの心は千年の時を超えて今も輝いている。
何度も同じセリフを書いている気もしますが(^_^;)、
やっぱりそれはとても素晴らしいことに感じるんです。

ちなみに今週は夫の妻に対する愛情を詠んだ歌がもう一首ありました。



秋さらば
見つつ偲(しの)へと
妹(いも)が植ゑし
やどのなでしこ
咲きにけるかも



大伴家持



秋になったら
見て私を偲んでくださいと
妻が植えた
庭のなでしこの花が
咲いたよ



これもいい歌だとは思うんです。
それに前の歌とは生きている妻と死んだ妻で単純に比較もできないとは思うんですが、
きれいすぎるんです。
長い間夫婦が愛情を育んできた積み重ねみたいなものが、前の歌に比べ感じられないというか…
恋人が死んで詠んだ歌ならいいと思うんですが。

テキストを見ますと家持が22歳の時内縁の妻を亡くして詠んだ歌だそうなので、
それほど長い間生活を共にはしなかったので、恋人の死に近いといえば近いかもしれません。

でも夫婦の愛情を詠んだ歌としては、先の詠み人知らずの歌の方が好きなんですよね。
もちろん歌を詠んでいるシチュエーションが違いますし、
これは単なる個人的な好みの問題ですけれどもね。