らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【万葉集2019】1 筑波嶺の をてもこのもに

 


千数百年前の奈良時代に作られた万葉集の歌の数々には、

現代の我々が忘れてしまった感性や思いが数多く綴られています。

 

今回紹介するのはこちらの歌です。

 

 

筑波嶺(つくはね)の
をてもこのもに
守部(もりへ)据(す)ゑ
母い守(も)れども
魂(たま)そ合いにける

 


東歌

 

 

筑波山の
あちらこちらに
見張りを置くみたいに
お母さんは私を見張っているけれども
二人の魂はもう出合ってしまったの

 


東歌(あずまうた)は、都人(みやこびと)が詠んだ歌に比べると、やはりどこか流麗さに欠け、
でこぼこした感じがするというか、野暮ったい感が拭えない部分があります。

「をてもこのも」の「お」の段の音が多く、重く、ごつごつしている印象を受けますし、

最初の五七五の部分が、「母い守れども」のお母さんの監視が厳しいという例えに全て費やされ、
必ずしも洗練されたという感じではありません。

 

ところが最後の「魂そ合いにける」を読んだ瞬間、歌の空気が一変します。

 

「魂そ合いにける」

二人の魂はもう出合ってしまったの


なんと素晴らしい表現でしょう。

「会」でもなく「逢」でもなく「合」は、
二人の魂がぴったりと、離れることなく合わさり、
他の誰もそれを引き離すことはできない。
そういった強い思いを感じ取ることができます。

洗練された都人(みやこびと)の頭で考えた、気の利いた愛情の表現でなく、
朴訥でも東人(あずまびと)の魂の中から感じて生まれてきた、心の言葉。

 

現代の我々に比べると思い切りのよさを感じます。迷いがない。

現代人は自分が傷つくことやリスクを極度に嫌いますから、

悩み考え過ぎて心が疲れてしまって、

肝心な時に心のフレッシュさが欠けてしまっている気がします。

現代人は完全主義、潔癖症と言うべきでしょうか。

いいなと感じても、その対象に小さな傷を認めると、

一歩踏み出すことをためらい、そのまま見送ってしまう。

 

古代の世界は飢饉もありますし、疫病もあります。

社会も不安定ですから、変事に巻き込まれることも多々あったでしょう。

言ってみれば明日死んでしまってもおかしくない社会であるわけです。

ですから古代の人々は今を生きることについて、

我々よりもはるかに真剣だったのかもしれません。

 

今感じたものを大切に生きる。

果たして我々にそれができているでしょうか。

時間はたっぷりある。ひょっとしたら、もっといいものに巡り会えるかもしれない。

と思っていませんか。

 

この歌は東歌と記されているだけで、

誰が詠んだのかわからない、 いわゆる詠み人知らずの歌。

どんな少女だったんでしょうね。

彼女の思いが千数百年後も生き続けてるって素晴らしいことだと思います。

 

 

 

 


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歌に詠われた筑波山の嶺