らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【万葉集2012】1 初春の初子の今日の

今年最初に最も感じ入った歌は



初春の
初子(はつね)の今日(けふ)の
玉箒(たまはばき)
手に取るからに
揺らく玉の緒



大伴家持



初春の
初子の日である今日の
玉箒よ
手に取るだけで
ゆらゆらと音を立てる
玉の緒よ




大伴家持万葉集を語るうえでは欠かすことのできない歌人にもかかわらず、
今まで取り上げることはあまりありませんでした。

それは多分に自分の好みではありますが、
家持の歌は整いすぎて美しすぎて、
詠み人知らずの歌などに比べると、
歌の気持ちが今ひとつ前面に押し出されてこないというか…
形式美のようなものを感じてしまうことがあったからかもしれません。

しかしこの歌は心深く感じ入りました。

歌の「初子」とは天皇陛下が自ら田を耕し、皇后陛下が蚕室をはらう儀式のことで、
蚕を飼う棚を掃くために使われたのが「玉箒」とのこと。

ちょっと手に取っただけで、玉が揺れて、ささやかな音がしたといいます。

この歌を読んで、最初にかんじたのが「静謐」

「静寂」かなと思いましたが、少しイメージが違う。
「静謐」も「静寂」も一般的な国語辞典などでは、ほぼ同義語として取り扱われているようです。
それではと思い、「謐」という字を調べてみると
「おくりな」と読むことがわかりました。
「謐(おくりな)」とは生前の行いを讃え、亡くなった人に死後名づけられる名前のことを言います。
一般的に「おくりな」は謚・諡と書きますが、中国ではこの「謐」がよく使われるとのこと。


万葉時代、歌にある「玉」は「魂」ということを連想していったそうですから
(当時は魂を「たま」と読んだそうです)、
箒の玉が触れ合って、ささやかな音を立てると、
それが人の魂、命の躍動をも促すと感じられたのではないかとのこと。

自分が歌を読んで静謐を感じたのも、
正月の始めに大切な蚕室を掃き清めて、
亡くなった先人達の魂に挨拶をする、誓うといった
儀式の厳かな雰囲気を無意識に感じたからかもしれません。

静謐とは必ずしも「無音」と同義ではありません。

初春のしんとした蚕室の中で、ささやかな玉の触れ合う音がすることで、
無音よりもはるかに静かで厳かな雰囲気を感じる。

大伴家持のこの歌は、見事にそれを歌い上げた歌だと感じ入りました。