らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【字余りのうた】18 やさしきをのこ

「やさしき心を詠む」



買い物の
おつりをママに
促(うなが)され
義援に入れる
やさしきをのこ



「やさし」の原義は痩せるの「痩(や)す」で身も心も痩せ細る思いということだそうで、
恥ずかしいという意味が根底にあるそうです。
その後そのような控えめな様子や態度が周囲から見て「品がいい」「健気だ」という評価を含む意味が加わり、
中世の終わり頃に「自分を控えめにして人に情けをかける」という意味に変化したとの事です。

そういうことから「やさし」は控えめに恥ずかしげに他人と関わるという意味が、
根本にある言葉であるそうです。

これを受けて、作家の太宰治は日本人の文化の本質にこの「やさしい」があると言っています。
太宰治は「やさしい」人の表情には常に気恥ずかしさ及びはにかみがあるとのこと。
つまり気恥ずかしさ及びはにかみをもって、
他者の悲しさやわびしさをいたわってあげられる能力が「やさしい」ということであると。

日本人の文化の本質が「やさしい」であるとするならば、
人に接する時にはにかんだり気恥ずかしさを感じて
あまりうまく接することができないことは恥ずべきことではないことになります。
変な言い方ですが、むしろ堂々とはにかんで人と接すればよい。
太宰治は相当ろくでなしの部分もありますが(ファンの方はご容赦)、
「やさしい」を日本文化の本質と見抜いたことは慧眼といわざるをえません。

現代社会においてはうまくスムーズに人と接することばかり重要なこととされ、
うまく人と接するためのマニュアル本みたいなものが書店に並んだりしていますが、
「やさしい」という行為にうまく立ち回ることは必要ない。
むしろデコボコした対応ながらも他者の悲しさやわびしさをいたわってあげることこそが
「やさしい」の本質であるということになります。

今回の短歌はそういう意味の「やさしい」を頭に置いて詠みました。

もう一度読んでいただいて、自分が短歌を詠む動機となった、
小さな男の子が義援金を呼びかける人のもとに行き募金するときの表情や情景を
頭に浮かべていただければ詠んだ者としてこれ以上嬉しいことはありません。