らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

もうひとつの「走れメロス」…壇一雄「小説太宰治」より

 

先日、「走れメロス」の記事を掲載しましたが、
実は作者の太宰治自身、かつて実際に「走れメロス」のような体験をしたことがあった…
というお話を今回してみようと思います。
結構有名な話なので、ご存知かもしれませんが。

それはこのようなお話です。

ある時、小説の執筆のため熱海の旅館に逗留していた太宰でしたが、
手持ちのお金も尽きる頃だし、行って連れ戻してきてほしいと
太宰の奥さんから頼まれた壇一雄が、
幾らかのお金を預かって行ってみると、太宰は大喜び。
一緒に帰京するどころか、壇を引き止めて二人で飲み歩き、
挙げ句、とうとう有り金全部使い果たしてしまいました。
飲み屋のツケやら宿の支払も出来ないので帰るに帰れない二人。

そこで太宰は、東京にいた文学の師、井伏鱒二に頼んで、
お金を借りて、すぐ戻るから、
それまで壇にここで待っているように言い残し、
急いで東京へ向かいました。

ところが数日待っても太宰からは何も音沙汰がない。
とうとうしびれをきらした壇が、
料理屋や宿屋には事情を話し、支払を待ってもらい、
東京の井伏鱒二の家に駆けつけてみると、
太宰と井伏は呑気に将棋を指していました。
 
人の心配を顧みようとしない太宰に、壇が問い詰めると、
将棋を指しながら、太宰は一言。
「待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね。」



ここで登場する壇一雄とは作家で、
女優壇ふみさんのお父さんに当たる方です。
代表作は「火宅の人」など。

走れメロス」で例えていうなら、
メロスは妹の結婚式をした故郷の家に居ついてしまって、
そのまま戻ってこなかったわけで…
セリヌンティウスが王の特別許可を得て、様子を見に行き、
メロスを問い詰めたら、
「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。」
ではなく、
「待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね。」
つまりは、俺だってお前以上に結構つらい立場だったんだよ。という言い訳?

走れメロスのパロディとしては
素晴らしいオチがついているではありませんか(^_^;)


まあ、太宰的には、それまで散々迷惑をかけてきた井伏鱒二に、
借金の申込みも気軽にできず、
切り出すタイミングを逃して
迷いあぐねていたのではということなんですが…

文学を始めとする芸術のちょっと不思議なところは、
優れた芸術家イコール素晴らしい人格者とは限らないというところです。
つまりは人格者だから、素晴らしい作品が造り出せるものではなく、
逆にいえば、素晴らしい作品を造り上げるのが人格者とは限らない。

それでは、人格者でない者が作り出した素晴らしい作品は、
欺瞞の類かというと、自分はそうとも思わない。
要は人格者であろうとなかろうと、
人間の内面の深奥まで入り込むことができ、
そこにあるものをじつと見つめ、表現することのできる人が、
普遍性ある優れた芸術を生み出せるということなのでしょう。

むしろ社会的に品行方正な人間より、
太宰治のような堕ちたところのある人の方が、
普通人では窺い知れない心の深奥みたいなものを
垣間見ることができるところがあるのかもしれません。
決して普通人でないことを勧めるわけではありませんけれども(^^;)


なお、壇一雄は後日、次のように、この出来事を回想しています。

私は後日、「走れメロス」という太宰の傑れた作品を読んで、
おそらく私達の熱海行が少なくもその重要な心情の発端になっていはしないかと考えた。
あれを読む度に、文学に携わる端くれの身の幸福を思うわけである。
憤怒も、悔恨も、汚辱も清められ、
軟らかい香気がふわりと私の醜い心の周辺を被覆するならわしだ。
「待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね」
と太宰の声が低く私の耳にいつまでも響いてくる。

壇さん…(^_^;)
この人は太宰に言いくるめられて、
たかられてしまうんだろうなということを
非常によく表している文章に感じました(^_^;)

まあ本人がいいと言うのであれば、
被害者はいませんので、問題はないわけですが…

壇ふみさんの人のよさは父親譲りだったのかと。
これは半分誉め言葉ですよ。半分はそうではありませんけれどもね(^_^;)




 
写真向かって左端の眼鏡をかけた人が壇一雄、その隣が太宰治