らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「お伽草子 カチカチ山」 太宰治

自分としてはあまり男だ女だと男女峻別論を採りたくはないが、現実問題として男性のみがわかる趣向、女性のみがわかる趣向というものは確実に存在する。

例えば女性のみがわかる趣向としてはドラマ「SEX AND THE CITY」「デスパレートの妻達」といったもの。
男性としてはふーん女性ってそんな風に考えてるものなのかとは思うのが関の山で、登場人物の女性に共感することはかなり難しい。

逆に男性のみがわかる趣向は田山花袋「蒲団」と今回取り上げる太宰治「カチカチ山」だと思う。
「蒲団」については明日にでも記事を復刻して投稿したいと思うので、今日は「カチカチ山」について述べようと思う。

物語に登場するのは16歳うら若き美人の乙女のウサギと17歳だと偽ってウサギと付き合おうとしている37歳醜男(ぶおとこ)のタヌキ。

物語全体にわたる醜男(ぶおとこ)タヌキのウサギに対する勘違いの思いに女性はおそらく「キモい」という印象しかないと思う。
女神のように心が果てしなく広く母性に満ちた女性でも苦笑いがやっとかな。

しかし男性がこれを読むと腹を抱えて笑いながらも、心からタヌキの境遇に同情し哀れみを感じざるを得ないと思う。
なぜならタヌキの勘違いには、男性全員が持っているであろうと思われる惚れた女性に対する根拠のない期待感というか願望が含まれているからである。

例えば一緒に柴刈りに行こうとウサギに誘われ、心が舞い上がり2人っきりで何かいいことが起こるのではないかと妄想を抱いて無駄に喜んだり、実年齢37歳というのがウサギにバレて慌てて取り繕い自ら墓穴を掘ったり、ウサギから貰った万能の軟膏(実は唐辛子入り)をブサイクな色黒の顔にも効くのではないかと顔に塗りたくったり。

そこらでいい加減悟ればいいのに、一緒に舟を作って湖に鮒を釣りに行こうとウサギに誘われ、根拠のない淡い期待を抱いて再び舞い上がり、器用に泥舟を作るウサギを見て、こんな働き者を女房にしたら俺は遊んでいながら贅沢ができるかも知れないなどと色気のほかに欲気さえもよおすなどもう救いようがない。
ウサギの計画通り泥舟が沈み始め「昔は少し泳げたのだが、タヌキも三十七になると、あちこちの筋が固くなつて、とても泳げやしない」という哀願もウサギに冷ややかに却下される。

最後醜男タヌキの「惚れたが悪いか」の断末魔の叫びは、男性読者ほぼ全員の腹を抱えて笑いながらも同情と涙を誘うシーンだと思う。

それに対し溺れて水底に沈む醜男を見送る乙女が汗を拭いながら美しい風景に微笑を浮かべて終わるラストシーン。
そう、ウサギは敵討ちにかこつけて最初から生理的に受け付けないタヌキを葬り去ろうとしてその目的を達成したに違いない。
そして「女性にはすべてこの無慈悲な兎が一匹住んでゐる」という作者の最後の言葉が胸に突き刺さる(はずだ)。

ちなみに太宰治はカチカチ山のストーリーの改変やウサギの敵討ちのやり方にもツッコミを入れており、その論法がいちいち面白い。

男性にはもちろん読んでもらって大いにタヌキに同情して欲しいが、女性にも読んでもらって、男ってホントにバカだねと失笑するのも一興だと思う。