らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【閑話休題】遺書

以前【閑話休題】で辞世の句というテーマの記事を書きました。

辞世の句とは死に臨んで自分の生を振り返り歌に詠むものをいい、その人の死生観が凝縮されており誠に興味深いものです。

何も辞世は短歌や俳句に限りません。
普通に遺書とされる文章も同じです。

川端康成が自殺した東京オリンピック銅メダリスト円谷幸吉選手の遺書を絶賛したという話などもありますが、自分は太平洋戦争で亡くなった若い兵士達の遺書「きけわだつみのこえ」などを大事に持っています。

円谷選手にしても戦争で散った無名の若者にしても共通して言えるのは、死に臨んで禊ぎとでも言いますか、死に臨んで心を清めてからこの世を去ろうという素朴で真摯なものを強く文章から感じることです。

文章としてそれが成功しているものもあれば、上手く表現できてないものもありますが、その思いは不思議と読み手に伝わってきます。


先日、元キャンディーズ田中好子さんが亡くなり昨日生前に録音されていたお別れのテープが葬儀において公開されました。
これについて巷ではいろいろ言われており、喪主の夫の用意したものを読んだのではないかとかという意見もあるようです。
確かに文面を見るとひょっとしたらそうかもしれないとも思います。

しかし少なくともそれを読む彼女の「声」は、別れゆく人々へ最後のメッセージを伝えようとする真摯な思いは本物ではないだろうかと自分は感じました。

あと死に臨む人間の前では生きている人間の演出など所詮かなうものではありません。
下手な演出は死に臨む者の思いの前では浮き上がって滑稽に見えてしまいます。

唯一死に臨む者の思いと共鳴しあうものがあるとするならば、それは送り出す者見送る者の素朴で純粋な死にゆく人間を追憶する思いしかないと思っています。

田中好子さんの一連のニュースを見て強くそう思いました。