らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【人物列伝】4 孫ピン 後編

先の戦いから歳月が流れホウ涓率いる魏は今度は韓の都を攻めました。
それに対し再び斉は孫ピンを軍師として韓の救援に派遣しました。

今回救援相手が趙から韓に変わっただけで、
パターン的には前回の戦いと同じですので、
斉は前回同様魏の都を攻める戦術を取りました。
前回魏の都には老兵など僅かしか置いていませんでしたが、
今回は精強な兵を残しており、攻めてきた斉軍を足止めしました。
その間にホウ涓率いる遠征軍も引き返し斉軍を挟み撃ちにしようという戦術です。

遠征軍が引き返してきたことを知った孫ピンは、魏の都からしずしずと撤退を開始しました。

ホウ涓率いる魏軍はこの機会に孫ピン率いる斉軍に打撃を与えるべく、追撃を開始しました。

最初は孫ピンの計略を警戒しておそるおそるだった魏軍の追撃も、
撤退する斉軍の数が逃亡兵続出で減っており、その距離が急速に縮まっていることを知り、
にわかに追撃の速度を速めました。

人間負けている時は、臆病で細部まで注意を払いますが、
勝ちを目前にしている時は、勝ちを手中にするのに必死で、
細かい注意は吹き飛んでしまっていることがあります。
孫ピンはその心理の隙を狙っていました。
斉軍の野営の竈の数を徐々に減らし、脱走兵が相次いだかのように偽装していたのです。

もともと魏の兵は戦慣れした猛者で、わりかし平和な斉の兵を臆病者と軽んじていましたから、
魏軍全体の心理としてもずっぽり孫ピンの狙い目に嵌ってしまっていました。
 
もう1つ言えば、主将ホウ涓も前回孫ピンに完膚なきまでに敗れた汚名を挽回しようという功名心
もしくは焦りといったものも計算に入れていたのかもしれません。

何日か追撃を続けた魏軍は、ある日斉軍野営地の竈の数が更に減り、かつ種火がまだ温かいことを確認。
数を急激に減らした斉軍のすぐ近くまで迫っていることを確信し、
ホウ涓は騎兵のみで追撃し一気に勝負をつけようとしました。

追うホウ涓に逃げる孫ピン。まさに手に汗握る展開ですが、
ここから先の話は司馬遷史記」の記述を借ります。

孫子は敵の行程を計算すると夜半に馬陵に到着するはずであった。
そこで大木の幹を削って「ホウ涓死此樹下」(ホウ涓はこの樹の下にて死ぬ)と書かせ、
道の両脇に一万の弓隊をひそませ命令した。
「夜になり火の明かりが見えたら一斉に発射せよ。」
果たして計算通り夜半にホウ涓が到着し、木に何やら書いてあるのを見とめたから、火をつけて字を読んだ。
すると一万の矢が一斉に発射され、真っ暗闇の中魏軍は大混乱となり同士討ちを始めた。
智恵も尽き大敗を悟ったホウ涓は「遂成豎子之名」(遂にあのガキにしてやられた)と言い残し
自らの首を刎ねた」

非常にドラマチックな描写で、司馬遷史記」でも屈指の名場面です。

ただ不確定要素をできるだけ排除して勝利を確実にする孫ピンのやり方からすると、
「ホウ涓死此樹下」と今まで積み上げた根回しの最後のオチを予めバラしてしまうとは
考えにくい部分もあります。

孫ピンのホウ涓に対する復讐劇の最後を彩る話として、
後世の人間による加筆の可能性もあると思っています。

ただ司馬遷は「史記」において殊の外、孫ピンに対して辛口の評価をしています。
孫子がホウ涓を計略におとしたのは明察だったが、刑罰の憂き目に遭うことを予見することはできなかった」

しかし、死にも匹敵する屈辱を受けながらその感情に飲まれず見事にコントロールし、
冷静に相手の実力・心理を分析し、極めて合理的に勝利を収めた孫ピンはただ者でないと
言わざるを得ません。

ほとんどの人間は自尊心が傷つけられたり屈辱を受けると、怒りなどの感情に飲まれ
自己のコントロールを失い、冷静な判断ができなくなり、自滅してしまうものなのです。

古人曰わく
「人に勝つ者は力あり
自ら勝つ者は強」

人に勝つ者はせいぜい力があるという程度だが、自己にうち勝つ者は真の強者である
 
まさに孫ピンはそのような人物ではなかったかと思っています。