らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「病牀六尺」正岡子規

 
実は、本日9月19日は「糸瓜忌」といいまして、
正岡子規の命日にあたります。

なぜ糸瓜(へちま)かと申しますと、
子規辞世の句である


糸瓜咲て
痰のつまりし
仏かな

痰一斗
糸瓜の水も
間にあはず

をとゝひの
へちまの水も
取らざりき

などから取られていることに由来します。

子規は20代半ばで結核に倒れ、床に伏し、
最後の3年間は、ほぼ寝たきりで、
寝返りを打つことすらできませんでした。
臀部や背中に穴があき、膿が流れ出るようになり、
常に激痛に苛まれていたといわれます。

しかし、子規は、それらの苦痛を麻痺剤で和らげながら、
俳句、短歌、随筆など多くの作品を書き続けました。
「病床六尺」という随筆は、
明治35年5月5日から子規が亡くなる前々日の9月17日まで
新聞「日本」に毎日127回に亘って連載されました。


「病牀六尺、これがわが世界である。
しかもこの六尺の病牀が余には広過ぎるのである。
僅かに手を延ばして畳に触れる事はあるが、
蒲団の外へまで足を延ばして
体をくつろぐ事も出来ない…」


冒頭、このように始まるこの作品。
もはや末期の結核で、立ち上がることもできない子規が、
何をどのように考えたのかということが、
実に詳細に綿密に描かれています。
ジャンルは俳句論、短歌論にとどまらず、
文学論、絵画論、文化論など多岐に渡り、
読んでいて飽きることがありません。

ここにその頃子規の描いた水彩画があります。




 
植木鉢に咲くケイトウの花でしょうか。
決して上手い絵だとはいえないかもしれませんが、
花弁や茎や葉っぱの形や色など、
じっくりと観察して丁寧に描いている様子が見てとれます。

「病牀六尺」における文章も同じです。
様々なトピックスについて、
じっくりと観察し、且つ考え、丁寧に論を起こしています。

また子規らしいユーモアも忘れていません。
死の4日前の上野動物園の虎の話など、
言われなければ、死の影すら感じ得ない
おどけた感じのものでありますが、
もうこの頃は、自分で筆を握ることができず、
途絶え途絶え口述したものを、
高浜虚子らが書き留めたもののようです。

そして最後に綴った文章。
9月15日のもの。

「芳菲山人より来書。 拝啓昨今御病牀六尺の記二、三寸に過ず
頗る不穏に存候間御見舞中上候達磨儀も
盆頃より引籠り縄鉢巻にて筧の滝に荒行中
御無音致候
俳病の夢みるならんほととぎす拷問などに誰がかけたか」

と、ここで筆は途絶えています。
最後は、もう口頭で文章を綴ることもできなくなってしまったのでしょう。

その2日後に子規は亡くなりました。
享年35歳。


この作品は必ずしも完成された芸術論を述べたもの、というわけではありません。
良きも悪きも子規らしい、また勇み足のような文章もあります。
しかし、読んでいて非常に面白い。
「子規さん、ここはちょっと違うよ」
「じゃあ、お前さんはどう考えるんじゃ」
という感じで、
これからワイワイと賑やかに議論が始まる。
そんな感じの文章です。

そんな子規に会いたい方は、是非この作品を読んでみてください。

自分も全て目を通したわけではないので、
あえてどの文章という推薦はしません。
ぺらぺらとめくって目に留まったものを読めばいいと思います。

ここに全文をフリーで読めるサイトを貼っておきます。