らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「城下の人」前編 石光正清

















この作品は、明治維新の年に熊本で生まれた石光正清という人物の、
新しき明治の世での生きざまを描いた自叙伝です。

作品前半は、少年時代、熊本士族として熊本城下に在住していた頃、
熊本城に攻めてきた西郷軍を目の当たりにした体験を詳細に記しています。
作者、この時10歳。今でいう小学校3、4年の頃です。

実はこの作品、先に読んだ司馬遼太郎翔ぶが如く」に作品の引用があり、
興味を持って読んでみたものです。

司馬遼太郎さんの描く西南戦争が、セスナで上空を飛びながら、
風景全体を鳥瞰するというものであるならば、
この作品は、地上に下りて、実際に歩いて見た風景を記したものと言えるでしょう。
そこに実際に生きていた人々の、生の息遣いを直に感じることができます。


西南戦争の勃発する前年、熊本では神風連の乱という士族の反乱が起こっており、
それは僅か1日で鎮圧されたものの、熊本の城下は騒然としていました。






西南戦争時の熊本城下


もうすでに、年明けには西郷軍が熊本に攻めてくるという噂でもちきりで、
熊本士族の残党がそれに呼応して大混乱になるのではないかという不安を、
家族全員が揃った新年の席で話し合っています。

この少年の父親は、すでに髷を切り廃刀令にも従っている近代的で進歩的な人なのですが、
熊本には、まだまだ頑として断髪令や廃刀令に抵抗する士族がたくさんいたのです。

そんな中、熊本城が火事で焼け落ち、城下も焼失するという大火が起こります。

この原因については、いまだにつきとめられておらず、
西郷軍に呼応した者の放火であるとか、
政府軍が防衛のために城下に火をつけたのだとも言われています。
老いも若きも男も女も皆泣きながら、天守閣が燃え上がるのを茫然と見つめている情景が印象的で、

「五十四万石の城下もこれで終わりだ。
今晩一晩で一面の焼け野原になってしまおう。
二百何十年繁栄を誇ったのも夢になってしまった。
時代の移り変わりというものは、わしらが考えていたよりはるかに厳しい。
この様子では世の中はもっともっと厳しく変わっていく。覚悟はできておるな。」

と、10歳の子どもに諭す父親の言葉が印象的です。

果たして、西郷軍は、それからほどなくして熊本に進攻してきました。
2月のことです。
西郷軍の行進を見た少年の様子が描かれていますが、
服装はバラバラで、歳も40代の中老から16、17歳の少年兵まで、
しかも彼らは隊列を組んで進んでいくわけでなく、3人5人とまばらに団子になって歩いて行く。
要は西郷軍は武器や装備を揃えて訓練を施した近代的な軍隊ではなく、
有志による寄せ集めであったと言えます。


子どもというのは、どの時代でも好奇心旺盛なもので、
西郷軍による熊本城攻略の様子を見に行こうと、城が見渡せる祇園山に友達と出かけていきます。

そこにはすでに西郷軍の砲兵部隊が陣取っていました。
城が見渡せるような山であるわけですから、当然西郷軍もそこに目をつけていたわけです。

しかし、果敢な少年たちは、こともあろうに、
そこで兵士たちのまかない飯を作っている人夫たちに、
熊本城攻めを見に来たから、僕らにも握り飯を分けてくれ。
というようなことを言います(@_@;)
なんという大胆不敵(笑)

しかし、西郷軍の兵士たちも鷹揚なもので、
こりゃ小さな兵隊さんには敵わんな、
握り飯を食ってもいいが、大砲の弾を食ったら大変だぞ。
というようなギャグを交えながら、
子ども達におにぎりをもたせてくれます。

この辺りが民族の興亡を賭けた異民族間の戦いとは違う、
おおらかさがあるといいますか、牧歌的というか、そんな感じがします。


その祇園山で少年たちは西郷軍の幹部と出会います。
村田新八という、 勝海舟をして一国の宰相の器と言わしめた人物です。





村田は、子供たちに対してもぞんざいな態度を取らず非常に丁寧で優しく、
かつ、優しさの中にも威厳を持った人物として描かれています。

もともと村田新八は、欧州巡察の岩倉使節団に加わり、
むしろ大久保利通寄りの人物であったのですが、
西郷の恩義に報いるため下野し、西郷軍に参戦しました。
その理知的な性格から、自分の運命がどうなるかを十分知った上での決断だったのでしょう。
平民で構成された政府軍の猛攻に対し、
この兵士たちの強さならば日本も諸外国に対抗できると語り、
自ら西郷軍の一員として、西郷の介錯を見届けた後、城山にて戦死。
享年40歳。


大河ドラマ「翔ぶがごとく」では益岡徹さんが村田新八役を好演しました。






さて、毎日、祇園山に遊びに行くようになった子供たちは、
砲兵の兵隊ともすっかり馴染みになります。
16、17歳の少年兵と魚を取ったり、
中でも飯塚という砲兵隊の兵士と仲良くなり、
「おじさん今日お城落ちそうですか?」
 「いや、今日も落ちそうにないなあ。」
「じゃあ、つまんないから帰ります。」
というようなやり取りは、ちょっとフレンドリー過ぎて笑ってしまいます。


しかしながら熊本城がなかなか落ちないという事は、
西郷軍が苦戦しているということであり、
仲良くなった兵士達とも別れの日が刻々と近づいてきたことを意味します。


長くなりましたので、続きは次回の記事で。





熊本城から眺めた祇園