らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【東日本大震災関連】母の被災体験「伊勢湾台風」前編

週末旅館でくつろいでいて家族で出た話題は、やはり東日本大震災のことでした。

自分が「ウチはこういう大災害で被災した人はいないけど…」
と言うと、間髪入れず母が
「あんた何言っとるの。私伊勢湾台風の被災者ど真ん中だがね。」
と名古屋弁でツッコミ入れられました。

そうだったのです。
子どもの頃聞いたきりでちょっと忘れていました。

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伊勢湾台風について簡単に述べますと
1959年9月26日潮岬に上陸し、紀伊半島から東海地方にかけて大きな被害を及ぼした台風で、
死者約5千人、負傷者約4万人。
この犠牲者の数は1995年に阪神淡路大震災が発生するまで、
第二次世界大戦後の自然災害で最多のもの。
南寄りの暴風で海水が伊勢湾三河湾の最奥部に吹き寄せられ、
和歌山県南部から愛知県までの広い範囲で高潮による浸水が発生し、犠牲者を多数出した。
というものです。


母は当時小学生でした。
愛知県の三河湾に面した海沿いの町で生まれ育ちました。
自分もその家に行ったことがありますが、海からほど近く潮の香りすら感じる距離です。

大型台風の兆候は夕方から表れ、古い物置小屋などが風で倒れて、
家族は総出で母屋の雨戸に釘を打ちつけたりして台風の襲来に備えたそうです。
夜10時頃がピークで風速常時50mを超え、しかも三河湾は台風の東半径側でした。

台風に詳しくない方のために少し説明しますと、
台風は時計と反対回りの風向きのため東半径は風が直撃します。
ですから船が外洋で台風に遭う危険があると、なるべく西半径にかかるように逃げるのです。
自分が台風が来たとき必ず注意して見るのが、
横浜や実家の名古屋が台風の東半径に入るか西半径に入るかです。
西半径側も被害は出ますが東半径側の比ではありません。
台風が関東に来るときは上空の強い偏西風に流され、東半径にかかることは少ないようです。
偏西風は関東にとって台風を受け流すまさに神風ですね。


午後9時前には停電し真っ暗になったそうです。
その時点で母屋は危ないということで、
家族の女性は全員隣の土蔵の2階に避難しました。
当時土蔵を改造して子供の勉強部屋にしていたそうで、
壁は土壁で厚みもありますし窓も少ないので、
木造で壁が薄く窓が多い構造の母屋より安全だという判断でしょう。

母の家は線路のそばだったのですが、なんと信じられないことですが、
線路の敷石が台風で空中に舞い上がり、
それがバンバンバンバン途切れることなく、
壁に当たる音や飛んだ瓦が壁に当たって砕ける音が忘れられないそうです。

母屋では男性陣が畳をはずして、雨戸を閉めた窓の重しして風と闘っていたそうですが、
もうどうにもならんということで、ほどなく土蔵に全員避難してきたそうです。
台風特有の持ち上げられるような感じの風で、
今にも家が吹き飛ばされるのではないかという恐怖で、
家族全員土蔵の2階でじっとしているしかなかったとのことです。

そのような状態が台風が通り過ぎる夜中の2時過ぎくらいまで、数時間延々と続いたそうです。

それだけでも十分地獄ですが、悪いことに台風の吹き上がる風で海水面が上昇し、
それが台風の南風に運ばれ高潮が発生。
母の住む町の、昔ながらのなでしこや月見草が咲く土の堤防を軽々と乗り越えてきたそうです。


長くなりましたので後編また後ほど掲載します。