「蜜柑」芥川龍之介
自分が小学校6年の時、社会科だけは教務主任の先生に教えていただきました。
先生は授業の余った時間で、よく短編の小説を朗読してくださいまして、
朗読と言っても本を見ながらでなく、
先生は授業の余った時間で、よく短編の小説を朗読してくださいまして、
朗読と言っても本を見ながらでなく、
身振り手振りをまじえながら表情豊かに話してくださいました。
みんなこの時間が大好きで、
先生が「じゃあ今日は時間が余ったから話をしようか」というと拍手喝采で大喜びしたものでした。
それは主人公の陰鬱な心の内そのもの。
発車と同時に薄汚れた田舎娘が向かいに座ったことで、主人公の陰鬱な心が増幅され、
発車と同時に薄汚れた田舎娘が向かいに座ったことで、主人公の陰鬱な心が増幅され、
トンネルに入ろうとするのに窓を開けようという娘の行為で、それは頂点に達します。
それはトンネルに入り、周りの風景がモノトーンから真っ暗闇になるとともに
それはトンネルに入り、周りの風景がモノトーンから真っ暗闇になるとともに
窓が開き、真っ黒な煤煙が車内に流れこんできた描写に象徴されています。
しかし小娘を頭ごなしに叱りつけようとした瞬間、列車はトンネルを抜け状況は一転します。
列車にみるみる光が差し込むことで、一気に最初のモノトーンの世界に戻り、
そして次の瞬間、踏切で姉を見送っているであろうと思われる三人の弟に向かって、
しかし小娘を頭ごなしに叱りつけようとした瞬間、列車はトンネルを抜け状況は一転します。
列車にみるみる光が差し込むことで、一気に最初のモノトーンの世界に戻り、
そして次の瞬間、踏切で姉を見送っているであろうと思われる三人の弟に向かって、
娘が蜜柑を五つ六つ投げ入れることで、
物語はモノトーンの世界から一気に「暖な日の色に染まった」蜜柑の色に支配され、
主人公は一時の陰鬱を忘れることができた心情が描写されています。
蜜柑の暖な日の色は、主人公の暖かにほぐれた心を象徴しているのであり、
蜜柑の暖な日の色は、主人公の暖かにほぐれた心を象徴しているのであり、
主人公の心の色が列車の疾走感とあいまって目まぐるしく変化し、
最後は蜜柑の暖な色に全体が覆われるというというテンポが絶妙だと思います。
またモノトーンで疾走する列車を背景に、
またモノトーンで疾走する列車を背景に、
暖な日の色の蜜柑がスローモーションで落ちていくような感覚は、
まだ五十代になられたばかりだと思ったが、
長い時を経ても、心に残る授業をして下さった先生に心から感謝したいと思います。