【プロレス】21 黄金の左 輪島大士
今月始め、輪島大士さんが自宅で亡くなったというニュースを知り、
自分は少なからず衝撃を受けました。
輪島さんといえば、まずは第54代横綱として北の湖と一時代を築いた、
優勝14回を誇る大横綱としてその名が知られています。
相撲の技に模したゴールデンアームボンバーという
彼の必殺技がとても印象に残っています。
輪島さんがプロレス界に入門したきっかけは、
相撲の年寄株を借金のカタにし相撲協会を追放され、
金に困ったからだとも言われていますが、
当時子供の自分はそんなことは知らず、
相撲の横綱がプロレスのリングに上がるというだけでワクワクしましたし、
純粋に輪島さんのプロレスを楽しんでいました。
その輪島さんのデビュー戦の相手は、あのインドの狂虎タイガージェットシン。
https://youtu.be/23RTFnrKZ6Y
会場は輪島さんの生まれ故郷の石川県七尾市の体育館。
当時オンタイムで見ていた自分は、故郷七尾の人々が、
心から輪島さんを応援しているんだという熱気をひしひしと感じました。
試合自体は、相手がタイガージェットシンだけに、
ラフファイトの場外乱闘の荒れた試合でしたが、
これはプロレスの技がまだ荒削りの輪島さんが、
テクニック系のレスラーと対戦するとそれがあらわにわかってしまうため、
ラフファイターのタイガージェットシンをぶつけたとも言われています。
しかしながら、この試合、レフリージョー樋口の失神などもあり笑、
(参考記事)https://blogs.yahoo.co.jp/no1685j_s_bach/13525606.html
きちんと試合のツボを押さえており、
ぎこちないながらも闘争心を前面に見せた輪島さん、
まずまずではなかったでしょうか。
この時38歳だったんですね。
思ったより若い(@_@;)
今から見ると40代半ばぐらいに見えます。
そして皆さんにぜひ見ていただきたいのが、
こちらブッチャーとの試合。
https://youtu.be/1PsFuq0v6uc
試合の流れから、お互いにまわしをつかみ合う
相撲みたいな展開になっていますが(^_^;)
輪島さんの豪快な左下手投げがブッチャーに決まっています。
相撲だったら、ここで勝負あったというところなんですが、
プロレスはそうはいかず、ブッチャーの地獄突きの反撃を食らっています笑
相撲をやめてやはりブランクがあったんでしょうね。
相手から攻撃を受けて、そのまま止まってしまうことが多く、
プロレスをやるにはスタミナ不足が否めませんでした。
結局輪島さんは3年足らずでプロレスを引退します。
実は、今回輪島さんが亡くなった時、
会社のお昼で、たまたま同席した知り合いの女の子に、
輪島で何か思い出ある?と聞きましたら、
「あります、あります。輪島さん、好きな食べ物は?3、2、1、ハイ!」「マグロ!」っていう人ですよね」
という答えが返ってきました。
自分はそれを知らなかったので、???という感じだったのですが、
プロレス引退後、バラエティ番組に出演して、
個性的なキャラでなかなかの人気者になっていたようです。
そして、これはその頃出演された、
やはり最近亡くなられた樹木希林さんと共演したコマーシャルです。
https://youtu.be/oaVV-zj-I1o
なるほど、70年代の輪島さんを知る者にとって、その姿は大横綱であり、
自分はそれを知らなかったので、???という感じだったのですが、
プロレス引退後、バラエティ番組に出演して、
個性的なキャラでなかなかの人気者になっていたようです。
そして、これはその頃出演された、
やはり最近亡くなられた樹木希林さんと共演したコマーシャルです。
https://youtu.be/oaVV-zj-I1o
なるほど、70年代の輪島さんを知る者にとって、その姿は大横綱であり、
80年代を知る者はプロレスラー。
90年代はバラエティタレントということになるんでしょうか。
このような輪島さんの履歴の変遷を、大横綱の剥落というような表現で、
見世物じみて哀れで惨めだと言う人もいるようです。
確かにプロレスラー時代、リングでのモタモタした動きが、
観衆の失笑や嘲笑を浴びたことが何度もありました。
それでは、輪島さん自らプロレスに転向したことをどのように思っていたのでしょうか。
生前輪島さんにインタビューしたものがあり、それを紹介します。
「最初プロレスをショー的なものだと思っていたけれども、
いざ自分がやってみたら、そんなもんじゃないと。
相撲と違って試合時間が長いでしょ?
それを自分で工夫をして、考えながら、自分の哲学でやるわけだから。
相撲は相撲で辛いけど、プロレスはプロレスで辛いものがある。
だから、”何だ、プロレスは”って言う奴は馬鹿なの。
相撲には相撲の哲学があり、プロレスにはプロレスの哲学がある。
プロレスはいわゆるショーじゃないんですよ。
それを私はヒシヒシと感じましたね。」
「みんな仲間でしたよ。全日本の選手はみんな”横綱!”って言って可愛がってくれる、教えてくれる。
カブキさんとか、鶴田さんとかね。
カブキさんは教え方がうまいんですよ。
”横綱、相撲じゃないんだよ。こうなんだよ”って。
天龍選手、石川君にしても”横綱”って言ってくれた。
プロレスに入っても、立ててくれたことに感謝してますよ。」
「プロレスにしても期間は2年間かもしれないけど。
このような輪島さんの履歴の変遷を、大横綱の剥落というような表現で、
見世物じみて哀れで惨めだと言う人もいるようです。
確かにプロレスラー時代、リングでのモタモタした動きが、
観衆の失笑や嘲笑を浴びたことが何度もありました。
それでは、輪島さん自らプロレスに転向したことをどのように思っていたのでしょうか。
生前輪島さんにインタビューしたものがあり、それを紹介します。
「最初プロレスをショー的なものだと思っていたけれども、
いざ自分がやってみたら、そんなもんじゃないと。
相撲と違って試合時間が長いでしょ?
それを自分で工夫をして、考えながら、自分の哲学でやるわけだから。
相撲は相撲で辛いけど、プロレスはプロレスで辛いものがある。
だから、”何だ、プロレスは”って言う奴は馬鹿なの。
相撲には相撲の哲学があり、プロレスにはプロレスの哲学がある。
プロレスはいわゆるショーじゃないんですよ。
それを私はヒシヒシと感じましたね。」
「みんな仲間でしたよ。全日本の選手はみんな”横綱!”って言って可愛がってくれる、教えてくれる。
カブキさんとか、鶴田さんとかね。
カブキさんは教え方がうまいんですよ。
”横綱、相撲じゃないんだよ。こうなんだよ”って。
天龍選手、石川君にしても”横綱”って言ってくれた。
プロレスに入っても、立ててくれたことに感謝してますよ。」
「プロレスにしても期間は2年間かもしれないけど。
相撲とはまた違った意味で思い出深いんですよ」
「結局、輪島=横綱なんですよ。相撲から始まって、そこからプロレス。
馬場さんの哲学を学んで、そして第三の人生として
一般社会でいろんな勉強をして、今現在があるんです。
生きていく中でいろんな出会いがあって、僕は幸運な男なんです。面白い人生ですよ。
輪島の人生は波乱万丈なんです。
他の人の人生の何倍かを生きてきたっていう感じがするね。
まぁ、それには感謝ですよ。疲れたけど(笑)。」
「結局、輪島=横綱なんですよ。相撲から始まって、そこからプロレス。
馬場さんの哲学を学んで、そして第三の人生として
一般社会でいろんな勉強をして、今現在があるんです。
生きていく中でいろんな出会いがあって、僕は幸運な男なんです。面白い人生ですよ。
輪島の人生は波乱万丈なんです。
他の人の人生の何倍かを生きてきたっていう感じがするね。
まぁ、それには感謝ですよ。疲れたけど(笑)。」
人は皆、必ずしも自分が望んだところでは生きられないこともあります。
しかし、流れ流れても、出会った所々で自分を尽くせば、
そこで新しい世界が広がるものです。
そういうことをいくつも経験することができた輪島さんの人生は、
決して悪いものではなかったのではないか。
自分はそう感じます。