らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「翔ぶがごとく 最終巻」司馬遼太郎









維新期の薩摩隼人たち


最終巻は、宮崎から鹿児島までの山中の逃避行と城山での西郷の自決について描いています。

西郷軍が、宮崎から北上するあたりから、もはやこれはもう戦争ではありません。
政府軍の追跡を逃れる逃避行というべきでしょうか。
それがひたすらに続きます。
それは延々と大分県境の山々から鹿児島に至るまでのもので、
何か太平洋戦争でアメリカ軍に捕まらないために、
南方のジャングルを彷徨っていた旧日本軍に、その姿が重なるところがあります。







西郷軍逃避行図



そんな絶望的な逃避行の間においても、
作者の司馬遼太郎さんは、桐野利秋に対する辛口の批評を緩めません。

曰く、
「桐野には本来責任感などはなかった。
この一挙も気腑でもって大賭博をやり、いくさも気腑だけで押しまくってきた。
失敗すれば、ということは考えなかった。
失敗したところで西郷と薩摩一万余の士族と自分が死ぬだけのことである。
(中略)失敗してそれに至ったところで桐野に責められるべきところはすこしもない。
その頃の桐野は、いさぎよくそのようにひらき直っていたのであろう。」


そして、宮崎の山中を逃避行していた最中、
次のようなエピソードを挙げて桐野の酷評します。

桐野は西郷が肌身離さず持っていた舶来の金時計がとても気に入っていたそうです。
彼はその手持ちの刀に金銀の細工をしていたように、
光り物が大好きで、ハイカラ好みで、特に装身具については特段の執着があり、
彼は中身がない男だけに、外観を飾ることにとても関心があったのかもしれない。
と司馬さんは言います。

しかし、逃避行の際、西郷は時計をなくしてしまいます。
西郷は無くした金時計に執着がなく、拾った者にやろうと笑って言ったそうです。
時計はすで他の人に拾われていたので、
桐野はその者追いかけて頼み倒し、300円で買い取ったそうです。
今で言えば、高級自動車1台分くらいのお金だそうです(@_@;)

それを評して曰く、
このエピソードは彼の子供っぽさがよく表れており、
翻って考えると、桐野はこの期に及んでもなお

絶望感を持たなかったというのはちょっと気味悪さすら感じる。と。


司馬さんは、政府軍に追い詰められ絶体絶命の状況下で、
前から欲しかった金時計を手に入れて喜んでいる桐野に、
ある種の不気味さを感じているようですが、
自分から見ますと、通常ならば、肉体と精神の疲労の極致のような状況下での、
底知れぬタフネスぶりに惚れ惚れとしてしまいます。
そうであったからこそ、幕末から維新そして西南戦争までの視界ゼロの世を生き残れたとも感じます。

桐野利秋という人間は、今その時を全力で生きることしか眼中にはなかった。
だからこそ、前から欲しかった西郷の金時計が手に入った今、
素直に、それが嬉しくて仕方がなかった。

現代の人はそうはいかないわけです。
今、金時計を手に入れたとしても、明日自分は死ぬかもしれない。
そうだとすれば、それの何が嬉しいんだ。
明日死ねば、今日金時計を手に入れたことなど無意味になるじゃないか。
そういう人は桐野の態度は不気味に映るわけです。
繊細で合理的な近代人にある司馬さんなどのように。

しかし、幕末維新の混乱した時代を駆け抜けた人たちは、
桐野のみならずおそらく西郷さんも、そしてその他の人間も、
多かれ少なかれそのような特質を持っていたのではないかと思います。

今を生きることができぬ人間は決して明日を生きることはできず、
今日の今、出会ったものと生きることに全力を尽くす。

前に薩摩隼人のぼっけもんの話をしました。

ぼっけもんとは、
命知らずで、無鉄砲で、危ないことに物怖じせず挑戦し、
小さなことにウジウジせず、堂々として大胆で行動力があり、
危なっかしいが、子供の様に無邪気で、やんちゃで、
故に周りから心配されるも、なぜか、いつの間にか慕われる愛すべき人だと言いましたが、
まさにこのぼっけもんとシンクロするわけです。

しかし、今の時代は違うわけです。
今は合理的に生きるために無駄なリスクを極力回避する生き方です。
損するような生き方はしない、危ない生き方をしない、リスクある生き方をしない。
結婚はコストパフォーマンスが悪いなどという記事が飛び交う昨今ですが、

それはその最たるものです。

現代の高度に合理化された社会では、

桐野のような、先を計算できないぼっけもんは、
合理化のベルトコンベアから、不良品として弾き飛ばされてしまうのかもしれません。

しかし、リスクを恐れて結局何もしないで時ばかりが過ぎていくことの多い現代人において、
桐野のような、こんな絶望的な中でも、今喜びを感じために積極的に動くことができる生き方というのは、
現代人にとって棄て去るには惜しい要素が多々含まれています。


最後の城山の戦いで西郷隆盛介錯を見届けた面々は、
山を駆け降ってそれぞれが戦いを挑み、全員戦死あるいは自刃します。
しかし、その城山の最期の突撃は不思議と絶望感や悲愴感を感じさせません。
もちろん彼らにもそういう感情はあったと思います。
しかしながら、西郷さんもきちんと自分の始末をつけられた。
じゃあ俺達もしっかり始末をつけるかというような気持ちが、それを凌駕していたように感じます。

翔ぶがごとく最終巻の感想を見ますと、
維新で功成り高い地位を得た彼らが野ざらしの死体となり、
人目に晒され転がっているのは、哀れでもあり惨めでもあるという感想を見ましたが、
まあそういうことからすれば、しかるべき寺などに入って、
全員並んで切腹というのが形式美的にはよかったのでしょうが、
彼らは自分の死体の事など微塵も考えなかったでしょう。


西南戦争から70年が経った太平洋戦争末期、
太平洋の南の島の至るところで、城山の戦いと同じような情景が繰り広げられましたが、
70年後の彼らは苦しかったでしょうね。
世の中の近代化合理化いう理念にどっぷりつかって生きていた彼らは、
自分の死の意味を何度も反芻したことと思います。
なぜ自分はここで死ななければならないのか、
いったいどこから間違ってこんなことになってしまったのか。

繊細な近代的合理主義者の司馬遼太郎さんの作品はそのようなテーマに貫かれ、
同じく近代的合理主義に生きている我々もそれに興味があり、
彼の作品を好んで読むわけです。

しかしながら、薩摩隼人のボッケモンたちは西南戦争終結により表舞台から退場し、
日本は国民一丸となって近代化合理化を目指し、
西洋列強に対抗しようとする時代が完全に幕を開けたことは間違いありません。






桜島を臨む西郷軍の戦士たちの墓





なお、余談ですが、桐野はそのぼっけもんの性格から男女を問わず広く慕われたそうです。
そういうこともあったせいでしょうか。
桐野利秋を主人公とした宝塚の舞台などもあるんです。






宝塚歌劇団「花華に舞え」


西郷さんが笑えます(^^)
大久保利通山県有朋など実在の人物も多数出てきて興味をそそられます。
しかし、日頃から香水を嗜んだシャレ気のある桐野ならば、この宝塚は結構イケるかも笑