らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【映画】火垂るの墓














先日、スタジオジブリで活躍された高畑勲監督が亡くなられました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

高畑監督といえば、アニメ創成期のテレビ番組の、
そして、その後のスタジオジブリで、宮崎駿監督と組んで、様々な作品を生み出した、
まさに日本のアニメーションを築きあげた一人といってよい人物だと思います。
その中でも、高畑監督の、最も世に知られた代表作のひとつ「火垂るの墓」。









太平洋戦争下の幼い兄妹の物語ですが、
元々、この兄妹の父親は海軍の艦長で、何不自由ない暮らしをしていました。
しかし、次第に戦況が悪化し、日本が劣勢になるに従い、

戦禍が本土にも及ぶようになり、
彼らの住んでいた神戸の大空襲により母親は死亡。
その後、親戚の家に預けられますが、
次第に居づらくなり、兄弟二人で暮らそうとするのですが、
結局妹は栄養失調で命を失い、

兄も後を追うように、駅のガード下でぼろ屑のようになって息を引き取ってしまいます。

二人の幼い兄妹が、誰からも手を差し伸べられることなく死に逝く姿は、
見ている者の涙を誘い、胸が締め付けられる思いがしますが、
70年前の日本において、戦災孤児など、ごく当たり前にあった情景なのだと思うと、
本当にゾッとします。

この映画については、いろいろな感想がありまして、
兄妹を預かった親戚のおばさんが冷たい、思いやりがない、
はたまた最近は、兄がもっとしっかりして親戚の家で我慢していればよかったのだ。
などという感想もあるようです。

しかしながら、自分が感じるところは他にあって、
この作品で最も言いたかった事は、
戦争というものが、いかに救いが無いものであるかということにあるのではないかと感じます。

ひとたび戦争に突入してしまい、戦況が悪化し、社会が混乱すれば、
人は皆、自分が生き残ることに必死で、それで精一杯になってしまい、
他の者達にまで心を回すことができなくなってしまう。
その結果、弱い者から死んでいく、
又、他人に心をかけた者から死んでいくことになる。
しかし、人はそれを横目で眺めるだけで、どうすることもできない。

この物語のテーマを、戦争の悲惨さという人がいますが、
戦争の悲惨さとは何かと問われれば、
そのような救いの無さのことなのだと思います。

他にも戦争映画というものは、色々ありますが、
アメリカの戦争映画は「火垂るの墓」とはちょっと違います。
アメリカの戦争映画は「救い」があるんです。
どんな難局に直面しようとも、困難に打ち勝って、敵に勝利し、栄光を得る。
そのような作品の結末には「救い」があるんです。
戦争がどんなに過酷でも、救いがあると考えている限り、
こういう人達の間には戦争は無くなることはないでしょう。

古今東西、無数の戦争が行われ、数え切れないほどの犠牲者が出ましたが、
戦争でひどい目に遭ったのだから、いつか相手を同じ目に遭わせてやろうという復讐論では、
おそらくこれから何千年たっても人間は戦争を続けていることでしょう。
人類が生き残っていればの話ですが。

ですから、どちらに戦争の大義があるということを抜きにして、
戦争というものは、人間にとって救いがないのだというメッセージは、
人類が生き残るための、非常に貴重で重要な、大きなものであり、
この「火垂るの墓」は、それを見事に表現した素晴らしい作品であると自分は思います。



優れた戦争映画とは、見終わって、スカッといい気持ちになるものではいけないのです。
やるせない、どうしようもない気持ちを引き摺って、その日は何も手につかない。
そういう映画こそ、戦争の真髄を突いた優れた作品といえるのだと思います。












ラストの、魂となった幼い兄妹が、現代の街並みを見下ろしている情景。
彼らはどんな思いで現代の街を見下ろしているのでしょうか。