らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「杜子春」芥川龍之介







芥川龍之介の代表作は?と問われれば、この「杜子春」を挙げる方もいるでしょう。
それほど、そのストーリーを知らない人がいないくらい広く知られた作品といえます。

しかし、この作品のテーマは?と問われると、様々な捉え方があるようです。

両親の財産を放蕩し、仙人から教えてもらった黄金の山を、
二度までも使い果たしてしまった杜子春は、人の世に嫌気がさし、
仙人になりたいと弟子入りを懇願します。

仙術を使えさえすれば、煩わしい世を心地よく渡ってゆくことができる。

こんな青年は、唐の時代ならずとも現代にも大勢いるのではないでしょうか。
特殊能力を縦横無尽に操って世の中を自由自在に生きる漫画は、
今の世の中溢れるほどあります。
それは、現代人の、杜子春にも似た願望を表しているのかもしれません。

そして、杜子春が仙人になるために課された課題は、
目の前で何が起こっても決して声を出してはならないこと。
杜子春はぎりぎりまで頑張りますが、
最後、畜生界に落ちて馬の姿になっている母が、地獄の鬼に打たれているにもかかわらず、
息子の幸せを願う言葉を聞いて、
思わず、「お母さん」と一言叫んでしまいます。


人の世に生きる以上、人との関わりなしに生きることは決してできません。

その中で生きていくのに一番大切なものは何か。

仙術や特殊能力といったアイテムなどではありません。
アイテムなどというものは、使う者の心次第により善にも悪にもなるもの。
鋭利な刃物は切れ味鋭いために、人の生活の役にも立つし、人を殺める道具ともなる。
要はそれ自体で善悪、幸不幸を決するものではないのです。

大切なのは、お金や仙術といったアイテムの有無ではなく、人の心のありかた。
すなわち、ごく身近にあるものへの慈しみ。
これこそ世を渡ってゆくのに最も重要なもの。

杜子春は最後の最後でそれに気付いた。

仙人はそれに気付かねば、殺すつもりだったといいます。
それは、一番大切なものに気付かなかった杜子春が、
たとえ仙術のようなスーパーアイテムを身に手にしたとしても、
前に与えた黄金の山と同じように使いこなすことができないか、
ひょっとしたら、大き過ぎる力を持ったがゆえに却って害を為すかもしれない。
そう思ったに違いありません。

杜子春は、声を出さなければ、仙人に命を奪われていたわけですし、
声を出せば、課題に不合格ということで仙人にはなれなかったわけで、
つまり、どう転んでも、仙人になることはできなかった、
つまり、仙人は、杜子春を仙人にする気はさらさらなかったといえます。
しかし、人間として生きることができるかを厳しく問うていたといえます。

結局、杜子春は仙人になることはできませんでした。
しかし、この人の世で一番大切なものを悟った杜子春にとって、
幸せに生きてゆくためのアイテムは、もはや仙術ではなくてもよいのです。


最後に、仙人は、今頃そこには、桃の花が一面に咲いているだろうと言って、
杜子春に家を一軒与えます。

桃というのは古来から生命力の象徴とされている植物で、
中国の2500年前の「桃夭」という詩にも、
そのみずみずしい生命力が詠われています。
https://blogs.yahoo.co.jp/no1685j_s_bach/11248860.html

その今まさに咲き誇っているであろうみずみずしい生命力の象徴たる桃の花は、
新しい人生をスタートする杜子春の未来を暗示しているようです。

いつもは文章に鋭さを感じさせる芥川ですが、
杜子春の芥川は、子どもに教え諭すような優しさがあります。








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